チラウラヤーン3号

その辺のプログラマーのチラ裏です。

「萌え」はもう一般化したどころか死語にもなってるかも知れないんだけど、 なんかきちんと整理されないまま押し切られてうやむやに消費されてしまった気がしてる。

もう40年もすれば当時の違和感を覚えている人も覚えていられなくなると思う。風化してしまう。

アニメや漫画のかわいい造形の女の子に抱くムラムラともトキメキとも違う、子犬や子猫を愛でるような愛しい感覚が萌えだ、と後出しで命名されたところが一つの違和感。

それが日本の新しい感情であるとされたところに違和感。

それが日本古来から持っている民族感情であるとしたところにも違和感。

それを本当に腑に落ちる解釈がされてないままメディアが面白がって使い、そのメディアの語釈を受けてなんとなく便乗してた人たちとそれをヨシとした風潮にも違和感。

ジャパニメーション」ぐらい納得のいかない言語運用がそこにあると思ってるけど、Wikipediaにも大体その辺の不明瞭さは書かれてるから、当初は不満をなんとか形にしたいと思ったけど、結構満足してしまった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%8C%E3%81%88

歴史に書かれている風俗や流行の記録も、そう言った誇張というか、デジタイズされてしまって欠落した情報が背景にあることを間引いて読む方がいいのだと思った。

平安期の価値観とか、貴族たちが捉えてるキラキラした誇張された世界観に、当時の市井に潜む野生の才能たちも「いや、そう言うことじゃないんだけどなあ…でもあいつら声がデカいし、お前らセンスねえんだよ!って言ったところでオイラに紙と墨は買えないしなあ…」みたいな忸怩たる思いを抱いていたに違いない。

違いない、までは言いすぎた。いてもおかしくない。そしてそういう人たちは歴史の狭間に埋もれて忘れ去られていく。


タイムマシーンができたら、そういう人たちを歴史の狭間から掘り起こして社会変革に駆り出したい。

同時代的なコンテキストとそこに渦巻く違和感はテキスト化されにくく、風化してしまい、歴史に残りにくく、歴史に残っていることだけで当時のことを正確に把握したと捉えてしまって、それが現代の問題に地続きだよね、と考えることの危うさについて考えてました、という話でした。