チラウラヤーン3号

その辺のプログラマーのチラ裏です。

生得的な性格に優しさが備わっておらず、自分が傲慢、無配慮、失礼であると痛感してからは気づく限り他人に優しくあろうと振る舞うも、油断した時はやはり自分勝手な振る舞いが顔をのぞかせ、ああ、またやってしまったと自己嫌悪に陥る。

優しくあらねば、集団から排除され、職場でも疎まれ、それはやがて自分の立場と存在価値を毀損し、陰湿に詰られ、恥ずかしさやみっともなさを喧伝され、排斥に繋がっていくであろうそのことが恐ろしく、いつもビクビクしているので疲れてしまい、結局は油断につながり、また失敗してしまう。

でもようやく、この生き方で十分かもしれないと思えるようになった。

できる人であれば力みなく8割できるところを、自然にやれて4割、気を張り巡らせて6割でやる。それで十分だし、自分にはそれが精一杯で、これ以上は上げるのが難しいし、あげたところでその先につながる取るべき行為が自分には見えないため、適性がないのだと思う。

「諦める」「適性がないことを知る」

暗がりを照らした結果、そこに穴があることに理解を得ただけで大きな前進であり、それを人生としてよしと、そういうふうに、少し張りを持って生きていく。

悪くない。誰も、何も悪くない。