チラウラヤーン3号

その辺のプログラマーのチラ裏です。

気の合う人と雑談をしているときに、トピックを忘れることがある。

これは雑談だけでなく、仕事の会議においても何か発展的な話をするときに起こることがある。

そんな時は、スマホのメモ帳アプリにトピックを書いてテーブルに置いておくか、 オンライン会議の場合は、チャットウィンドウにでもそのトピックを書き出して置くことで、 話の帰結を論点に向かわせることがしやすくなる。

何も見ずに話すことがもっともエモーショナルに響く、という効果は薄れるかもしれないけど、 観衆の扇動をするのでもなければ、悪い方法ではないと思った。

新しいトピックに移るたびに追記していけば「これは先ほど話したXXということにも繋がるんですけど」と過去のトピックに言及して関係性を伝えることもできる。

あの頃の先回り思考

慢性不安のまま仕事でコミュニケーション取ってる時、質問に対する答えが7割がた決まっているであろうと固定的な認識を持っていて、かつ、質問主側にも同様の認識があるはずだと思い込んでいる場合、論点への回答を飛ばすことがよくあった。
先回り回答による論理の飛躍はこうして生まれてた。

自分の思考が遅くて、遅いことは愚かなことで、相手の時間を不必要に奪うから、自分は非難されても仕方ない存在だと思ってた。
だから、お互いに分かりきってるはずのことは飛ばした方が相手も喜ぶはずだと思ってた。
相手の時間を浪費させずに済むはずだと思ってた。

「この人は自分よりも頭がいいから自分が考えてることなんかお見通しで、念の為確認してるだけだ。だから、認識が違うときだけ、そうと分かる反応を示せばわかるはずだ。認識が違わない時はそのままその先の議論に進んでいいはずだ」と思ってた。

「まず質問に答えてください」と怒られた時は、なんで怒られてるのかわからなかった。
お互いに分かりきってることをなぞるだけのステップになんの価値が?
僕の頭が悪いから怒ってる?
10を100に刻んで説明すると「結局どういうこと?」って怒るでしょ?
10を3にして説明しても同じ。
なんで怒るの?

「怒ってますか?」
「怒ってないよ。確認したいだけだよ」
(本当は怒ってるよね…忙しいだろうに、余計な手間を取らせてばかりだ。自分なんかいなければこの人も楽できたのに…ごめんなさい…どうしたらいいんだろう…)
「本当に何度もすみません」
「謝らなくていいから。何が悪いかわかってる?」

「わかりません…」
「とりあえず、これとこれだけやろうか。それが終わってからまた相談しよう」
「わかりました。ありがとうございます」
(最初からそのつもりだったし、結論は変わってないのに、わかってない扱いをされてる…何を間違えてるんだろう…)

以下、繰り返し。

こうして眺めてみると一人相撲、自分で追い込んで自分で苦しんでる感じがある。
外からはなんで苦しそうなのかわからない。

これ系のディスコミュニケーションをAIの力で分析・仲介して、両者の苦しみを解きほぐすようなソリューションとか出てこないかな…

全然話変わるんだけど、これ、買ってよかった。

さっそくご飯炊いてツメツメして冷凍した。

蒸気穴を開いてそのままレンジでチン。 チンしたご飯はスルッと出てくる。

最高。

いつでも美味しいご飯が食べられるの、最の高。

一人称が定まらずずっと私、僕、オレをランダムにフラフラ使ってたんだけど、ようやく道筋が見えてきた気がする。

  • 職場、公的な場面
    • → 私
  • プライベートの中でも仕事の付き合い、またはまだ親しくなりきってない仲、知人:
    • → 僕
  • 友人、家族、パートナー:
    • → 俺

スッキリ。

あとはこの使い分けに自分自身が慣れるだけだ。

高度経済成長のモーレツの揺り戻しとしての冷笑主義が平成を支配し、更にその揺り戻しとしてZ世代は努力を恥ずることなく肯定できる価値観を形成し、旧世代の歪みが解体と再構築されようとしてるように感じるも、上の世代にはまだ精算すべき文化や価値観が根強く残っているように思う。

下から教わるのもいいが、共に歩むぐらいの感覚でもいいんじゃないだろうか。

人間は本質的に関係のない要素同士でも、時系列や分布に体験的な法則性を見出すことで相関や因果を直感してしまう。

先日の都知事選でも偏向報道に触れた人々の影響などをみるに無意識の作用は我々の心に根を深く下ろしている。それはさておき。

「肌が白いこと」が良しとされてるのも、かつての戦況における強国の民族が持つ属性と結びつけてしまい、「白ければ優秀」(なんなら「白ければ優秀になれる」) と誤認してしまっているだけなのか?

だがしかし、秋田美人に言われるように、文化が欧米の影響を受けるよりも前から、色白が良しとされているのはなぜなんだろう?

多分そういう考察は既に書籍になってると思うけど、そういうのこそレファレンスサービスで探してもらったらいいのかな?

今の自分の考察段階では、白→病原菌に侵されてない清浄のシグナルになってる、と想像してるんだけどどうなんだろ。

綺麗な世界でしか働いてない自分は卑怯者なんじゃないのか?

綺麗なオフィス、綺麗な服を着た人たち、コンピューター、書類作業

生ゴミや糞尿、大きな怪我、肉体的な不便さ、化学的・機械的な危険性がないところで働いていて、それで善人ヅラするのが「いい人生」なのか?

今日もどこかで誰かが爆発して、顔の半分を失ったり、ぐちゃぐちゃの糞便に塗れた土壌に浸かった足の小さな傷から敗血症にかかって苦しんだりしてる中で、「そうならないためのお勉強」というゾーニングゲーテッドコミュニティの中で汚水を垂れ流す立場からそれらを眺めて「気の毒だ」「もっと世界平和を」と呟きながら、スーパーでチョコなんか買ったりしてる生活にウソはないのか?

精神薬でヨレヨレになって、サブカルに浸かって、厭世家気取りでいいカッコしてられる時代はとうの前に終わっているけど、それからどうやって嘆けばいい時代になったんだっけ

マッチングアプリで、女性がよく外食のオシャレな料理を皿ごと持ち上げてる写真を掲載している意味が長らくわからなかったのだけど、今ようやく理解した。

  • 拾い物画像ではないですよ
  • 私とデートするとこういうお料理を一緒に食べたりするイメージですよ
  • 私は美味しいご飯を食べるのが好きですよ (あなたもそうあって欲しい)

というメッセージなのね。

私の次のような点でずっと疑問だった。

  • なぜ持ち上げてるのか
  • それはあなたが作った料理ではない
  • 私は特にオシャレな外食に頻繁に行きたいと思っておらず、自宅で凝った料理を一緒に作り、共に楽しむ方が好き

私の食へのこだわりのなさ、共感性のなさ、推理力の不足、オシャレデート経験の少なさなどが招いた認識ミスだった。

つまり、そのような写真掲載をしている女性とマッチしたいのであれば、自分もオシャレストラン、オシャカフェに行って、顔を映すことはしないまでも、「私もこういう瀟洒な雰囲気が好きですよ」とマーケティングする必要があったのだ。

ああ、自分の馬鹿さが恨めしい。悲しい。

それでもTシャツで顔を拭って前を向いて歩いていかねばならない。

オレたちの婚活坂はまだ始まったばかりだぜ!


追記

マーケティングのことを言うなら、男性おいては次の趣味を「身につける」と、レンジが広がるはず。

  • 美味しいお店探し
  • 雰囲気のいいカフェ
  • ゴルフ (「始めました」「夫婦で回るのが夢です」をよく見る)
  • 映える温泉旅館
  • 海外旅行 (訪問国数をアピールしてる女性は多い)

自分はこれらの趣味を持ってこず、音楽、映画、アートに振ってきたので、趣味の一致面ではマイナーセグメントに寄ってしまい、婚活的には形式的には不利な状況。

さてー…。