チラウラヤーン3号

その辺のプログラマーのチラ裏です。

90年代の中国で若者の間で何が流行っていたか知らない。

親の世代のインドではどんな有名人がいたのかを知らない。

昨日のニカラグアではどんな料理が一番食べられていたのかを知らない。

私はいつもそこにいなかった。そこの国の人たちと言葉を交わすこともないし、共に過ごしてもこなかった。

ウォークマンがMDになり、mp3プレイヤーに置き換わり、iPodが目立ち、電話と合体したその進化を目の当たりにしてきたけど、そんな川の流れに身を置くように日々の移ろいを味わえたのは日本でだけで、他の国に私はいなかったので、他の国の日々の移ろいがどんな色や音をしていたのかを私は知らない。

体の所在がただ一つにしか定まらないという制約がある以上、当地の人なら当たり前に知っているようなことすら、何も知らないし、わからないというこの心地よさは、きっと永遠に続くのであった。

(暑くて眠れません)

今見えているものが錯覚なんだ。やる気がないのも錯覚。それでよしとしているのも錯覚。

だいたい、ハイになった時の判断力だって怪しいもんだ。下から上に上がった勢いから予測処理が働いて、実績以上の未来を期待してニュートラルなら言わないようなことも言ってしまう。

だから、ニュートラルのときにやってた習慣をトレースするのが一番なんだろうと思う。例え、やる気がなくても。というか、やる気がないからこそ、だ。なぜなら、やる気がないというのは、放置すれば病に堕ちる状態だからだ。この感覚にはとても強い誤謬世がある。真に休むべき状態と、そうでない状態の、感覚的な区別をつけられないのだ。

冷静に考えれば、状況整理として、体力の消費行動の時間と負荷をリストアップすれば、休むべきかそうでないかがわかるはずなんだけど、やる気がないからそれすらできないデッドロックなんだよね。

ループはブレークしない限り続いちゃうので、2, 3日十分休めたら、ある程度負荷のある行為に戻る方がいい。リズムを伴った上で。我々は動物なので、ずっと体を休め続ける生活に、体が最適化されていない。最適化されていない行動をとり続けると、たとえそれが休養だとしても、不調につながる。


それはそうとして、そもそも人と会う回数が多くないと好きになる人と出会う数も減っちゃう。なので、普段から1人でも外出が好きになるといい。

「寂しいから伴侶を作る」のって変じゃない?と思ったのがきっかけ。

パートナーが欲しいなら、人と積極的に交流しよう。有意義に交流するために、自分の知識とスキルを磨こう。

内→外→知→…充電→外→知→内→…

のループ。

「中年になっても若者文化をキャッチアップしてみるぞ」という意識を持ち続けてきたつもりだけど、プラットフォーム自体が違ってたりしてこれはもうギブアップだ。

例えば音楽。

CDからストリーミングに変わり、おそらく、ティーンたちは音楽配信専用サービスよりもTikTokで曲を知るのだろうと思う。TikTokは見てないので、もはやそこで脱落。せいぜいがYouTubeに流れてきたり、CMで使われたりしている曲ぐらい。

例えば、芸能。

テレビの若手芸人もある程度、気にかけていたつもりだけど、若者の間では有名人だけど私が全く知らない人たちがゴロゴロしている。YouTubeでいろんな配信者たちがコラボしてヌルヌル階段を登る動画が普通に300万回再生あるんだよね。他にも、テレビ業界と無関係にYouTuber単独の企画で数百万回再生が珍しくない。

これだけ再生されていれば、そりゃー新宿や渋谷でロケしてたら騒がれるだけの認知度はあるよねえ。

漫画。

少年誌掲載作品は読まなくなったけど、青年誌作品はいくつか読んでる。これに関してはプラットフォームが変わっても、クリエイターの在り方が変わってない、つまり、編集者がまだ介在している世界だからか、まだ脱落感はそこまでない。ただ、ギャグ漫画なんかは全くわからない。

うーん、そもそも、学生の頃からしてJKの文化とか異世界だったし、ドラマには興味なかったし、そもそもがキャッチアップできてなかったように思う。まあでも、少年の頃に抱いた「人はどのように若者でなくなっていくのか」というテーマを意識的に体験できたので、満足感はある。

YouTubeの世界は、当初は見ていて痛々しいクオリティのものも少なくなかったように思うけど、今はかかってる予算が桁違いでクオリティも高くなっている。あと20年もすれば企画自体ももっと小慣れていくんだろうか…。

2018年あたりからボカロを聴いてた世代がシーンに台頭し、ボーカルの上手さが重要視されるようになってきた印象がある。その代わり、曲自体は聴きやすいものが多い。

2000〜2010年あたりの「荒削りでボーカルのピッチは安定してないけど、楽曲重視、またはアプローチ重視」みたいなのは今はあまり見かけない。いや、いるんだろうけど。

この考察から演繹される推論として「今はもう、ビョークとか ブッチャーズみたいなのボーカリズムはウケないのかも知れない」と言えるのではなかろうか。

「曲もなんか不自然だし、ボーカルがあんまり上手くない。平成の音楽って感じ」みたいな。


そうそう、3Dソフトも音楽制作用DAWも、プログラミングの開発環境も、今では学生でもお小遣いを貯めれば買えるぐらい廉価になったことも間接的に影響してる気がする。でもこれはいいこと。CGソフトと音楽ソフトは昔は何十万もしてたし。

「お疲れ」や「ご苦労」には様をつけられます。単語のネガティブなイメージをうまくキャンセルしてると思う。だから、ご活躍様、みたいに、ポジティブ+緩和表現だと元々の造語機能が持っていた効果が全く活かされない。

この「様」の使い方で他に何か造語できないかな。

  • 「ご仕様変更対応様です」
  • 「お地獄様です」
  • 「針の筵様です」
  • 「ご落選様です」

イマイチ。

一人ごっつでやってた「発展させよう」をちょっと思い出した。

「まともにやってると納期に間に合わない」問題。

つまり、正規の手順を省略するのが横行する理由。

でも考えてみれば、ほぼ全部の企業が同じこと言ってるのでは?という気もする。もしそうなら、みんなが同じだけ手間をかけて正規の手順を踏めば、みんながそれぞれ納期を伸ばせて、品質も上がって、製品力も上がってハッピーにならないかな。

ひいては「まともにやった方がトータルで得」といつ価値観が生まれれば、学校教育にも家庭教育にもいい影響が生まれると思うのだけど…。

あーでも、みんながまともにやってると、どこか本当に効率化できてるところが現れると、そこに出し抜かれてしまい、秩序が崩壊してしまう。

ハッ…!もしかして、現状ががそうなった結果なのか!かくして、ガイドラインや法令だけが残りました、みたいな、いつものアレかあ…。

やっぱり、人の善意に期待する仕組みはうまくいかないんだな。構造的に解決しないと。