チラウラヤーン3号

その辺のプログラマーのチラ裏です。

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どんな人にも強さと弱さの両方が必ずあると信じられれば楽になれるだろうか。

弱者でも生きやすい社会を作るべき、自分もその基板を担う末席でありたいと思いつつも、人前に出る勇気はなく、そして、自分が弱者になるのはイヤという内面的な嘘。 そういった自分の嘘に負い目を感じる。

人に優しくしたければ自分が強くなるしかなく、でも強くなるには過酷な日常を過ごさねばならない脅迫感に気が滅入る。

いいことだけ考えるようにして大らかに生きたいが、それだと自分は良くても世の中が何も変わらない気がして、踏み切れないし、自分が弱くないと弱い人の気持ちになれない恐怖がある。

一度強くなった時、世界がつまらなくなった。丸く転がる球は死という穴以外に整合して嵌ることがなく、欠けた球はお互いに噛み合うのである。

そして自分は欠けたままでいることを選んだが、欠けた自分の姿を認識するたびに、残念な気持ちが膨らむ。

強さは、欠けたまま欠けた人の気持ちがわかり、欠けたままで別の欠けた球を作る楽しみ方のことを言うのかも知れない。

ただ、楽しんでばかりいると傲慢に陥り、前進もなくなってしまい、それは停滞の一助となってしまうことにやはり恐怖を感じてしまう。

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よくないもの

  • ドキュメントだけ大量にあるセキュリティルール→業務キャパシティに対してアレンジする
  • セクショナリズムとサイロ→横断的プロジェクトの実施において、双方の仕様や過去の過失イベントからの注意点が共有されないまま断片的なすり合わせで進行する
  • 職務上のミッションに対して多すぎる雑用をシステムに切り出すか、分業化の余地を作って知識の冗長化、組織内浸透を掲げること

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創作物にリアリティを求めると、その究極はフィラー多くして遅々と進まない凡庸な日々も描くことになるわけで、果たしてそれを誰が読むのか、少数の読者がいたとして、作家は、スタッフはそれで食っていけるのかと考えると、おおよそ現実的ではないような気がした。

よって、そういった多様性のロングテールに位置するような書き物は、ごく趣味的な時間を使って書くのがよろしいはずで、それが日の目を見た時にようやく出版されるぐらいでよいのではないか。

少なくないじいさまたちが刊行したくなるという自費出版についても、そういったテイストのものが溢れているのではないかと想像する。

しかし、暇に明かしてそういったものを書くとして、それが物語として成立させられるかと言えば難しい気がしており、そうなればいよいよAIの登場するところではないかと夢想した。 AIにボディを与え、エネルギーの有限さを動機として死生観や不公平さへの不満などを抱えさせれば、あとは電力を糧として、日々の思いの丈を文芸調にしたてあげ、書物の体裁で拵えることも不可能ではないのではないか。

いや、そういう話がしたかったのではなかった。リアリティの話だ。リアリティへの要求が一線を越えると、それはエンタメでなくなる危険性があるという話だ。 よって、求めるべきはリアリティというよりも、「日常から乖離した人々の反応や発露については演出を推敲するべし」という「マイナスにならないための措置」であると自分の中で整理された。

機械化兵器読本

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Notionメモ

なぜQuipやDropbox Paperなど、限定的リッチテキストスタイルのドキュメントサービスにまさったのか。

  • ドキュメント管理は、階層型 + DB型のハイブリッド
  • レイアウトを変えられる
  • ドキュメントのトップレベルにコメントのやり取りが入れられる
  • Markdownエクスポート

また後で

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何か問題に直面した時に軸としたいもの

  • データ (限度があるので代表的なデータとクズデータのサンプル)
  • ルール (規則性)
  • 問題と理想
  • 意思と決定
  • 履歴(差分)
  • 6W2H
  • グルーピングと特性
  • コントローラブル or not
  • 緊急と重要、要望と必須
  • 時系列変化
  • スイムレーン
  • 影響因子
  • WBS
  • 知っていること、知らないこと

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このところ4日ほどかけて iOS の Shortcuts.app で連続引き算ゲームを作ってた。 きっかけは「脳を鍛える大人のNintendo Switchトレーニング」だった。 久々に脳年齢チェックをやったところ、脳年齢が 48 才と出たのだ。 短期記憶をチェックするための「連続減算テスト」のクリアタイムが遅かったことが足を引っ張った。

連続減算テストの画面はこちらを参照: www.nintendo.com

最近は自分でも頭の動きが鈍くなってきている感覚はあったが、 頭の動きが鈍いと「このままだとまずいな」という危機感さえ湧いてこないのが厄介なところ。 それが脳トレゲームをしてスコア化されたことで一気にその危機感が湧いてきた。

以前は余裕で 20 才のスコアを出せていたこのゲームから、そんな年齢結果を突きつけられて悔しくなり、 連続減算能力を鍛えようという気になった。 早速 App Storeで似たようなゲームを探したが、 こんなちょっとしたゲームのために広告付きのアプリを入れるのも面倒な気持ちになり、

「そうだ、自分で作ればいいじゃないか。それ自体も脳トレになるし」

と思い立ったのがコトの経緯。

「こんな単純なゲーム、1時間半ほどで作れるだろ」

と高を括っていたが、場当たり的に処理を足していくことでやはりそれなりのバグが生まれ、 その修正に翌日、翌々日の仕事後の時間を使うことになった。 iPhoneのGUI上で処理を並べていくことも、処理の流れを掴みにくさにつながっていた。 (のちにコメントブロックを随所に足すことでわかりやすくなった)

少しずつ自分のイメージしたものが出来上がっていく営みは楽しかった。 ここ2年ほどほとんどコードを書いていなかったこともあり、 プログラミングの楽しさを思い出すことができて嬉しかった。

出来上がったプログラムは誰かに見せたくなるもの。 妻にシェアして遊んでもらったところ、いくつかフィードバックをもらった。

  • クリア時に成功・不成功が出るだけだと素っ気ない
  • 「100点でした!」のような「褒め」はないのか?
  • 得点を出すなら「ミスした分は減点する」仕組みはないのか?

たしかにそうだ。

それらのフィードバックは考えてみればどれも基本的なことだ。
なぜ思い至らなかったのだろう?
フィードバックを通じて、20年ほどのエンジニア人生の中で自分がゲームを作ったのはこれが初めてだったことに気がついた。 あまりゲームをやってこなかった人生だし、ゲーム性というものへの関心が低かったように思う。

そんな自分でも、こんな小さなゲームの中にも「ゲームデザイン」を見出すことができた。
驚いた。楽しい。面白い。
それまで興味のなかったゲーム作りを、初めて楽しいと思えた。
見るとやるとじゃ大違いだ。

フィードバックに対する修正を盛り込む上でも少し頭の体操は必要だった。

  • 得点計算ロジックをどうするか
  • 減点ロジックをどうするか
  • 減点の幅はどのぐらいが適正か (大きすぎても小さすぎても楽しさが減ってしまう)

それっぽいロジックを考えて実装した。 ホーム画面にアイコンを置いて、毎日起動して鍛えられるようにした。 自分が欲しいものを自分で作って自分好みに調整できるこの感覚が久しい。

この営みがまだ楽しいと思えてよかった。

今日もまた機能改善として、完了後のアクションとして「もう一度やりますか?」を尋ねて、 最初からやり直せるように改修しようかと思ったが、Shortcutsだと処理のまとまりを関数として囲み出すことができないので諦めた。

ただ、1回限りのサイクルに留めるだけでも、プログラミング初学者のよい題材になりそうだと感じた。