「学校ではもっと社会で役に立つことを教えるべき」論についてもっと考えたい。
quoraを見るだけでも、そのテーマへの反論は多数あり、どれも理解はできる。
しかし、それって本当に色々試してみたうちに最適化された結果なのか?比較検討して選択した結果なのか、結論ありきでこうなっていて、随時改訂をしているが交絡が多すぎてうまく評価できていない状況なのか知る術はあるのだろうか。
文章の読み書き、聞き取りとスピーチ、論理的思考、コミュニケーション形成、科学的手法、マネジメント、社会構成要素の俯瞰、資産形成、人生設計の一般的ガイドライン、公衆衛生など、現在中等教育で教えられているものよりファンダメンタルなものはある気がするけど、今のカリキュラムはどのような意図で設計されているのか知りたい。
現在のカリキュラムは極端に言えば、小さい頃からやらせるにはアカデミック過ぎる気がする。教養主義的。例えば二酸化炭素吸収マシンの「ひやっしー」。レアケースではあるけど、科学的成果としてもてはやされている商品が実際には誇大広告だったりしてて、それはカリキュラムがその狙いとうまく接続されていないことを表す一端にも思える。
例えば数学。脳が成熟し切る前に形式的訓練を行うことで認知処理能力を増大させておく、という点で意味があるかも知れないけど、それは学習形式やセルフマネジメントを知ってから取り組み始めるのではダメなんだろうか?何が致命的な遅れをもたらすのだろう?
というようなことに興味があるので、いつか教育学を学んでみたいが、それよりも優先したいことも多々あり、死ぬまでにできるかわからない。
例に漏れず、こんな素人が考えることなんかとっくの昔に検討済みだとは思う。
寿命が200年間あればいいのにな。