前に牡蠣を食べた後の夜に腹痛を発してトイレに篭ってたときに強い痛みのあまり気絶・失神したことがあった。
看護師である妹にそのことを話すと「…痛みに耐えきれないと脳が判断して失神したんだ。そんなに痛みが強いのか」と呟いたことを思い出した。
痛過ぎて失神するとかすごいな人体は。強すぎる信号は、感覚統合のコード・水準・ルールを維持できず壊す恐れがあるのか?それで遮断→失神?レベルメーターみたいなのがあって、レッドゾーンを超えるとメーターが壊れる恐れがあったとか?
フラジャイル 病理医岸京一郎の所見(1) (アフタヌーンコミックス)
- 作者: 草水敏,恵三朗
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2014/11/21
- メディア: Kindle版
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Daigo批判の動画を見ていた。感想としては、科学的態度というのは、信念と謙虚さを併せ持ったバイブスなのかも、ということだった。
実証したいことが「神がこう言ってるから」とか「感覚的に明らか」とか、反証可能性を欠いているものでなければ、説に間違いがあれば、ちゃんとした否定も可能なはずであることを忘れてはいけない。その時、「この方法ではこれが出来ないことが証明された」という情報はとても公益性がある。しかし、その実証に期待してた側からすると呑み込みにくい事実だったりするはずで、落胆もあったりすると思う。そんなときに、謙虚に受け入れる心構えが必要で、しかし、不可能と言われていることに挑戦する場合は信念も必要で、なんというか、科学的態度というのは人間力なのか?という気もして来た。面白い。
勉強って中国語の原義的には無理して頑張る、って意味らしいのだが、studyは?どうやらラテン語の原語でも骨を折って頑張るという意味合いのようだ。
めっちゃ縫合の練習したい。使う場面ないけど。
ネーザルサイクルで普通に鼻の穴は片方から通る時があるんだけど、鼻呼吸をしっかりすると、粘膜にちょっと刺激を感じるんだよね。成長期に口呼吸だったから、鼻の粘膜が丈夫に育たなかったのかなあ…うう…てことは、鼻中隔湾曲の手術したらもっと粘膜が痛くなるのでは…