チラウラヤーン3号

その辺のプログラマーのチラ裏です。

過去を思い出すに、友人から預かっていた金魚を死なせたりと、自分はほとほと阿呆であり、それが辛いのであるが、はて、なぜ阿呆であることが辛いのだ?と考えてみると、これは「自分はこんな格好悪い人間であるはずがない」というたわけた思い込みからなのであり、それは「なぜ口を開けて待っているのに餌が口に飛び込んでこないのか!」と憤る雛のようであり、無根拠かつ滑稽な憤りの情動である。馬鹿であることを恐れず、失敗し、非を認め、馬鹿を減らしてきた人たちの道程を知らずに彼らが積み上げた泥臭い経験の果てに得た果実だけを見て「あれはわたしにも与えられるべきものである」と思い込んでしまう動物的浅ましさがあり、つまり、自分で餌を獲得する泥臭さと我慢の訓練が足りず、しかし、その恥ずかしさは勇気ある行動と経験により上書きしていくべきであったし、いまからでもそうしてよいのである。やはり巣からは蹴落としてでも放逐される方がよい。可愛い子には旅をさせろ。自分を可愛がるなら崖から転げ落ちよ。ライク・ア・ローリン・ストーン。

ぜんぶ、ビビりなのがよくない。ビビって何もしないよりは、格好悪くても何かをする方が100倍マシ。

かような心の弱い人間が「大丈夫。全く、あなたのせいじゃない。先祖の霊と神様を大事にすれば、絶対、人生はよくなるし、今まであなたを笑ってきたやつらを見返せる。綺麗な奥さんとも結婚もできるし、金運は上がるし、身長も伸びるものなんですよ。だってお兄さん、カッコいいですし。私が今の彼氏と出会ってなかったら、絶対に付き合ってたと思います!」などと美女から甘言を呈されれば、やはりこれは壺を買ってしまうのであり、大変よろしくない。

因果関係、相関関係の考察と立証に関する予備知識とは非常にありがたいものであると、今までの出会いに感謝せずにはおれないが「私は物事を喝破した」と目覚めた気分になるのもこれまた魔境であり、仏を槍で突き殺さねばならぬ難しさがあり、恐怖と欲で人間はやすやすと煩悩に傀儡されてしまうのであるなあ、と風呂に入りながらむにゃむにゃと顧みていたのであった。