チラウラヤーン3号

その辺のプログラマーのチラ裏です。

知的な人は行動的な気がする。

例えばスポーツや旅行や外食や料理、ライブ鑑賞、創作など。他人との交流でもいい。ビジネスでもいい。寄付でもいいし、買い物でもカメラでもいい。外界とのインタラクションが色と温度と感触を持って記憶に楔を打ち込むのであればなんでもいい。

行動的でない自分は、自分の知性に限界を感じる。世に公開されないインサイダーアートをずっと頭の中で描いているようだ。そんな人たちは少なくないのではないか。自分をとても少ない観点でしか客観視できない。

逆に言えば、行動的に活動することで、知性の幅を広げることができるのかも知れない。筋トレが脳に刺激を与えるように。コンウェイの法則において、ソフトウェアは組織の相似となり、逆に組織が変わればソフトウェアも変わるように。

知性は溶岩が冷えて固まった石ではなく、掘れば湧く足下の泉の上に被さった土の湿り気、水の滲みだろうか。そうであって欲しい。

今、英文解釈教室を読んでいる。自分の中の何かが変わっていっている気はしないが、いつかは泉がわくといいと思う。