一つのことがうまくできてない。UNIXの哲学が身に染みてない。
この問題は自分より頭の良いあの人も見てた。しかし、解決されずに今に至るのだから、私がやっても無理なのだろう、などと思い込み、相談する前に諦めてることが失敗だった。
あの時も、この問題が話題に上がったけど、何も変わらなかった。だから、こうやっていくしかないんだ、とか。
チームでのチームワークなんだから、もっと公にしていこう。
自分の担当範囲じゃないことに自ら忙しくして自分に酔ってた。
にもかかわらず、チームメンバーは私を心配してくれ、スプリントレビューで課題として上げてくれた。「何を後回しにすべきか」つまり戦略的犠牲を決めるため、今何が起きているかを報告すること、スプリントで立てた計画については毎日、遅れているかどうかの進捗を報告し、状況をあらわにすることが決まった。
独りよがりな自尊心は少しずつ恥をかきながら捨てていこうと思った。
もっと上のレイヤーにエスカレーションをしていこう。やり過ぎと思ってからが振り返りのチャンスだ。振りが弱いと結果も曖昧になるから振り返りも曖昧になってしまう。失敗は致命的でない範囲で大きく…いや、そもそも成功させる気でいないから失敗も満足にできないんだ。
一級の屏風の虎のように、不安を感じているなら何が不安なのかを明らかにしないとずっと不安のままなんだ。不安を屏風から出せたら、あとは、山を登って、登ったら無事に降りることに集中して、疲れたらあそこの岩陰で休んで、目が覚めなかったら、それはそれでいいさ、って神々の山嶺で深町が言ってた。
あと、水古風に出てきた哲学科卒の坊さんも、苦しみの中で、自分と苦しみを見つめればきっと答えはある、って言ってた。