チラウラヤーン3号

その辺のプログラマーのチラ裏です。

後輩が実装意図や欲しいものを相談してくるとき、うまく説明が出来なくて「それ、本当に必要なのかな?」とか「そこまでやらなくても、これでいいんじゃない?」といいそうになることがある。実際何度かは言ってると思う。

でも、うまく説明できない、または、こちらの想像力が足りてなくて、理解できないだけで、彼が本当に困ってて必要としているのに、それを妨げて無用な運用コストをかけてしまうのではないか、という危惧を持つように心がけている。

「今聞いた話だけから判断すると、そこまでしなくても〜〜という方法で対応できそうだと思ったけど、あなたはそれが必要で、無いと困ると感じたんですよね。そして、今、そこに一番詳しくて現場感覚を持ってるのはあなたで、そのあなたがいうのだから、やってみるといいと思うよ」と言うようにしている。

なぜなら、自分が若手の頃、同じく状況で悔しい思いをしたから。「こっちの方が保守運用観点からいいよ」と言われて、その通りにしてみても、運用負荷は下がらなかったし、何かが得られた感覚もなかったということが何度かあった。そしてなにより、上司は上司で別のタスクがあるので、私の保守運用をずっと手伝ってもらえるわけでもなかったのだ。上司は責任は負う立場にはあるが、常に部下にべったりとくっついて仕事を補助することは、基本的にやらないし、できない。やって欲しいけどね。文科省の偉い人に生徒として学校に入ったり。

だから、成功しないまでも、せめてやってみて、失敗ぐらいはして欲しいし、させてあげたい。

経験者が言うことが理解できなくても、過去の失敗を踏まえての助言ならとりあえず聞いてみるのも、それはそれであるべきだとは思うのだけど、現場の者の訴えをよく理解も出来ずに取り下げさせた挙句、失敗も成功も、腹落ちも無いのは…まあ、大事故を防ぎたい場合は、たしかに現状維持、中庸こそが大事だったりもするわけだけど。

言いたかったのは「現場の訴えを見落とさないこと。説明がうまく出来てないだけで、少なくとも、自分がその現場に入ってしばらく過ごしてもみないまま、軽率な判断により、現場の苦しみを維持させてはならないので、自分の判断や理解を過信せず気をつけよう」ということ。

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

そうでなければ、例えるなら、チャレンジャー号の爆発事故を今後も起こさないようにすることは出来ない。


‪ほらね、もう8月でしょ。‬ ‪オレが1月に言った通りになったじゃん!‬ ‪「8月はあっという間に来るよ」って。‬

(1月に自分に向けて言ったことに対して)


行ったことのある国、自分の認識から香港抜けてた。

  • 韓国
  • アメリ
  • 香港
  • タイ
  • イギリス

韓国は中学校のとき、地元の町の姉妹都市交流プログラムで行った。そのときはまだ漢字も普通に使われてたし学校でも教えてた。伝統的なお菓子を頂いたんだけど、上品な甘さで美味しいお菓子が多かった印象。向こうの中学生との交流には英語を使ったんだけど、疑問形が使えることがこんなに便利なものなのか!と感動した。

アメリカは大学生の時、バイト先の社長に飛行機代を持ってもらった。中学生の頃から憧れだったSIGGRAPHを見学に行くため。ホームステイ先は、元会津大学教授のグッドウィン先生のカルフォルニアのお家に2週間。英語圏で生活することと合わせて夢が叶った。

香港は社会人になって3社目、Webエンジニアとして最初の会社、ベーシックでの社員旅行で行かせてもらった。帰り際に小銭使い切るためだけに買った生ジュース、人生の中で一番うまいジュースで感動した。そういえば海外への社員旅行があったのは、この会社だけだった。有難い。その後の某SEO会社Jでは諏訪、グノシーでは沖縄に連れて行ってもらった。社員旅行に行く会社はもう珍しくなってしまった感がある。

タイは、上記会社の退職後に同社を先に辞めていた先輩と。2週間滞在した。自発的に、非ツアーでの旅行はそれが初だった。ここで地球の歩き方の有り難みを知った。iPhoneは持っていたが、スマホとモバイルサイトが今ほど実用的ではなかったので、ミニPCを持って行き、宿探しに使っていた。素潜りツアーが最高だった。

イギリスはグノシー退社後のSMAP Energy社での出張で行かせてもらった。予算消化の関係で12/31に現地に飛び、年越し、それから約3週間滞在させてもらった。英語で仕事をすること、ストーンヘンジを見ることという夢が叶った。

どんなことであれ、夢が叶うことのある人生を送らせてもらって僥倖であります。


炎天下の車内でローストビーフが作れるという 記事を読んで、赤ちゃんが死亡した記事がフラッシュバックしてしまい不安感に駆られてしまった。

赤ちゃんてどう育てればいいんだ?どうやって夏場の水分補給をさせたらいいんだ?水を与えれば勝手にちゃんと飲んでくれるのか?生き物の生きる力を信じて、必要なものを与えていけばいいのか?

嫁も子供も、それどころか彼女もいないのにとても不安になってしまった。

好きな人と海に降る雪を見ることが次の夢だ。


尾木さん、レバノン勤務叶うといいなあ。 米田さん、アメリカ留学して音響工学修められるといいなあ。


魚の中で、卵を岩肌にくっつけて、流されないようにする種類いますよね。あれって、何代にも渡って卵が流されないように願い続けた結果獲得した能力なんでしょうか?だって、岩にも粘着出来るような成分を研究して配合した訳でもなく自分の体から生産分泌されるようになったんでしょう…。「どうすればいい?」と神様に聞いて願ったら「お前の体に授けよう」と言われて気づいたら体に備わってたのか?

それともランダムに発現した能力のうち、それが淘汰の結果として生き残ったのでしょうか。

前者だとなんか希望が持てるなあ。世代を超えて願い続ければ羽だって生えるのでは。

いや、後者でもいいか。とにかく足掻いてもがいて、見つけたものを大事にしていけば生き残っていけるのかも知れない。


人生で一度は、アーティチョークを食べてみたい


小さい頃、親父に「触るな危険な生物」として教えられたもの

  • ウツボ: 噛まれると指がなくなるぞ
  • スッポン: 一度食らいつくと絶対離さない。噛まれると指がなくなるぞ
  • オコゼ: 踏むと足がめちゃくちゃ痛いぞ
  • クラゲ: 全身ミミズ腫れになるぞ

ピアキャスUSTREAM、ニコ生が世に出た時、みんなその可能性にワクワクしながらも、ついにYouTuberのように結実するとは想像出来なかった。YouTubeにはマーケットがあったが、他にはなかった。楽しいだけじゃ続かないのが大人の世界なのだ。いくら良いものであっても、経済活動として維持されなければ…つまり、教育もそうなんだろう…


高校ぐらいまで、「ファッション」が大嫌いだった。お洒落な友達に「なんでみんな「これがカッコいい」という画一的な価値観で服を選び同じような格好をするのか?それは雑誌や芸能人が、ひいては業界が作り上げたもので、芸術的な視点として、絶対的な「良さ」が考慮されてない虚構の価値観ではないか。真にお洒落をやりたいなら、なぜみんな服を自作しないのか?あと、パリコレのファッションは悪くないが、お洒落が好きと公言するやつらはなぜコレクションの服を着ないのか?アイツらは本当に服の美が理解できているのか?」と熱弁をふるっていたが、当の私と言えば、お母さんが買ってきた、文字や絵がデカデカと入ったスウェットを着ているという始末だった。

あれから月日は流れ、今では「服を着るならこんな風に」を読んでユニクログローバルワークユナイテッドアローズ、ザラ、ナノユニバース、無印、コムサを愛用するファストファッションおじさんになりましたとさ。


会社を作るなら社名は「株式会社 頭良くなりたい」にしようと思う。


ホワイト国除外に対する韓国の姿勢を報道で見て、韓国にガッカリするわけだけど、もしこれが虚構なら?と想像すると、僕らは洗脳されて韓国にそういう思いを抱いていることになる。一部の韓国民が抱く日本への警戒心も同じようなものなんじゃないのか?てことは…メディアの責任て無視できないなあ…。

他人を正しく評価するということは、そのぐらい難しい…。


「空手家の心を忘れるべからず」「アーティストの心を忘れるべからず」高校卒業時にそう誓ったのに、体はぶよぶよになり、創作はせず…二十歳過ぎればただの凡人、という慣用句が理解できる。まあ、二十歳までべつに天才だったこともないけど。

凡人であっても、志は忘れたくないじゃんねえ…。

でも、辛い時に「深呼吸して呼吸を整える!」ことだけは残ってる。