レベルが低いときほど自分と相手の能力を正確に測れないのなんでか分かった。自分の中の情報が足りないんだ。
自分の中に
あって、相手の中に
みたいなステータスがある場合、少なくとも、こちらが全容を把握してるAについては、相手の能力範囲は見て取れるし、Bのうち相手の30は未知だけど、「自分と同等かそれ以上」ぐらいは言える。Cに関しては「自分はCについて専門外なので相手がCについてどれだけ詳しいか分かりませんが、自分の知ってることは全て知ってる感じがします」とは言える。これが、自分の中にCが1とか5とかしかないのに「オレはCに詳しい。オレはストリートスマートだ」とか思っちゃってると「あいつはCについて、勉強はできるかも知れんけど、オレより詳しくなさそう」ぐらいしか分からないのではないか。全体ボリュームが分かってないから。
格闘や戦闘も同じだろうと思う。技の幅が狭く、精度が低いと、同じレベル以下の相手の能力しか測れない。
そういった点で、ある分野について1〜100までカバーしたテストを受けることは、一つの統一的なスケールで客観的に自分の力量を測れるのでそれ自体は良いことなんだな。
コミュニケーション力、というやつも例えば
- 声は小さくないか
- 目を見て話しているか
- 論理構成はできているか
- 自己開示と質問ができているか
- 賛同や提案を示せているか
- 事実と感想を分けて話ができているか
など項目を分けて、コンピテンシーみたいに、または、お笑いの審査みたいに、各評価軸ごとにスコアリングすることで、それっぽい評価ができるのでは。
なーんてことを考えてたんだけど、人事の専門書には100年前から書いてありそう内容だな、と書いてみて思った。知らんけど。
「強くなりたければ、自分の弱さを知れ」ってのは「まず、100がどのくらいの強さかを知れ。物差しを手に入れろ。味わえ。触れろ」ってことなのかな。
勉強して知識の幅を広げたり、試験を受けたり、強い相手と戦わないと、体感しようがない気がする。
「できる/できない」「わかる/わからない」「負けなかった/負けた」これらのうちの後者が大事。後者が体感できる、ってことは、物差しを手に入れた、っとことなのかな。
そして、恋愛もまた、しかり。なのですかね。