チラウラヤーン3号

その辺のプログラマーのチラ裏です。

根拠とロジックをもって政治や行政組織を叩く人たちがいる。 ということは?市井には官僚や政治家よりも優秀な人たちがいるのかも知れない。

ところが、よしんば彼らが政策立案に携わったり組織運用の船頭を任されたとしても、やはり市井からは叩かれる気がしている。

「100%完璧な人などいない、そんなの当たり前だ」と鼻を鳴らして申される人々はとてもとても多い。がしかし、それを知っているのなら人を叩くのはなぜ?問題と人格を切り離して、純粋に問題点を議論するのではあればよいが、どうもそれを忘れがちなように感じる。穴を見る時、こちらも穴から見られているが、鏡を見て背中を見ず(水ダウ だーりんず小田の善戦にネット拍手 平然と存在しない言葉連呼「鬼殺し3年の気持ち」(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース)、といった様相だ。

知っていることと、それを体現できることには、理論と実践の隔たりがある。ダイエットをしたり、英語を身につけるのが難しいのと同じ。訓練と努力、そして失敗からの改善が必要っぽい。

それで。

美人投票よろしく、知名度や人気度を中心に政治家が選ばれ、ハイクラスの官僚と民間企業の偉い人たちは、どうしても高級取りを目指したり、税金に由来する大きな事業予算獲得に注力しがちで、本質的なことに取り組めてるのって、下手すると5割ぐらいなんじゃないだろうか、なんて妄想する。 (官僚の知り合いがいないので妄想でしかないけど…あと、本質的なこと、とは…?)

それは、それらをよしとする社会に通底する強力な価値観があるからではないのか。人が羨むような方向に、力ある人々は向かう。金であったり、名誉であったり、権力であったり、知能であったり…、真面目さであったり、正しさであったり…。

であるなら、今よしとされている価値観ではなく、別の価値観を敷衍しない限りは現状は変わらないのでは…?

ただ、いくらそういった、もっともらしい価値観が認められる世になったとしても、人を判断し、評価するのは難しい。人を100人集めて、定性的に、定量的に全員を評価して100人それぞれがどんな適性がどのくらいあるのかを弾き出すのって、できるものなんだろうか。それをやるための適切な問いを作ることがとても難しそうだ。

企業での採用だって、良い人を見抜くのは難しいし、恋愛関係にあった仲でも、結婚してから相手の見極めができていなかったと後悔する声もよく聞く。

いわんや、選挙前の政治家の評価をや。よく知っているつもりの人ですら、その中身を計るのは難しいのに、よく知らない人は…実績や経歴が参考情報として重要になってしまうのもやや仕方ない。

ただ、おそらく、今よりも1.5倍ぐらい多くの人が、身の回りの人や自分のいるコミュニティを良くしていこうと互いに働きかけていくなら、小さくても変化は積み上がっていって、25年単位で時代の変遷を感じていけるようになる…のかも知れない。ファクトフルネスに書かれていることみたいに。

まとめると、理想の政治が行われるには、私たち市民の、いや、私の価値観と行動が変わる必要があるけど、それらが変わったところで他人を正しく評価する行為自体がとても難しいので、構造に由来した限界がありそうだと思いました、という話。

それでも、世の中を変えていくには、まだ見ぬ聡明な人間の登場を期待するより、自分達ができることから始めていくしかないのでは…などと思ったり。