前職で教わったことを切り売りしてるだけで、新しく何かを身につけてなかったー。
https://youtu.be/bzwQO2TtXzw こういうのがプログラミングの知識がそこまで多くはなくても作れるのがFlashの功績だった。代わりになるツールがないように思う。マルチメディアプレイヤー、オーサリングツールとして、広く世に使われた素晴らしいツールだったのだが。
そこだけなぜか時代と理想への歩みが後退してる。ベクターとラスタが扱えて、GUIでサクサク作れて、モバイルにもさっと展開できるもの、が求められてる。
最終的にJSになればいいんだよね?
2ちゃんで中学生や小学生までもが自由に笑えるコンテンツ(もちろんしょうもないものも数多ある)をわーっと作れたのは、オーサリングツールの操作体系の簡便さが実現したことだと思う。
あれ?でもみんな割れてたのかな。普通、買えないよね。高くて。Adobeが価格を引き上げたり、サブスクリプションにしたことも影響あるかも。
もう一度、あんな時代が来るといい。
アミガのデラックスペイントが素晴らしいツールだと聞いたが、なぜそんな素晴らしいツールが廃れてしまうのかと疑問だったが今ようやくわかった。ツールがどんなに素晴らしくても市場とシーンが成立するには、プラットフォーマーや普及機の仕様、価格、手に入れやすさがないと流行ることが出来ないのだ。。。
後輩や部下に接するときはかつての自分の思いを忘れないようにしなくちゃ。気を使って言わないようにしてることがいっぱいあるはず。なぜ言わないかというと、
- 最終的に自分の今までの努力不足にはねかえる
- 妥協をなくすと、その会社にいる意味がなくなる
- そこまでしてい続けたい会社かどうか、という話になる
- 言いまくると、困った時に、辛くあたられる可能性
- 相談相手が忙しすぎる
など。見えてる状況やもらす不満、疲れはごく一部のもので、溜めているものがあるはず。 これを忘れがち。「言わないと分からないから」「察してちゃんは困る」それで人が動くならこんな大変なことにはなってない。「言い辛い」「言っても何も買えられないし変わらない」などの絶望が底にある。
聞いても解決はできないかもしれないけど、まずは共感したり、一緒に悩んだりはできるはず。そここそが「評価の目で見る」のではなく「一緒に成長しよう」という精神性なのだと思う。
挨拶するとか、業務委託の人もちゃんと設計ミーティングに呼ぶとか、指示出しが曖昧なのに成果物に文句を言うとか、床にゴミが落ちていても拾わないとか、サーバー上でどんな風に動いてるかも分からないプログラムの改修を依頼されるとか、技術と経営を支えるものとしては基本的な礼儀作法があると思うことが多々ある。
老害だろうか。いや、せめて品質や保守運用性を伴った成果を出してくれる人ならいいけど、そうでもない人が…義務を果たさずに権利だけ主張するようで…。
一緒に働く人から自分の直すべきところ聞きたいなあ。
頭痛がひどくて一日休んだ。 夜には治った。 休んだ日でも買い物やゴミ捨てに行くのが面倒くさくならないのは、最近、精神が元気なお陰だと思う。
みんなこの状態で学校へ行って勉強したり仕事してたりしたんだとしたら、そりゃ差はつくよなあ…と感じた。
日本の何割が朝、元気になれなかったり、月曜が憂鬱だったりすんだろう。それを少しでも解消できるなら国が変わると思う。
組織が大きくなればクラッシャータイプが出てくる。人に振ることを覚えなきゃ、と周り言って、しわ寄せの回収を考えないタイプとか。
1日8時間、かつ、不足の事態のバッファ、これを死守する条件として本気で定時に全員帰すつもりでリソース計画を立てないと残業なしなんて土台無理なので、その辺を今後は見ていきたい。
足りない分は、上に責任取ってもらうつもりで。
退職者は、退職理由も本当のことを言わない。それらしいことを言ったとしても「キミのその理屈は通らないが、それでもというなら仕方ない」と判断される方向に持っていくための理由をでっち上げてる可能性もある。
基本的に、何かをやるときに「やっていこうー!」「頑張ろうー!」「売り上げ上げるぞー!」という掛け声をかけたとき、芳しい反応が得られないのであれば、そこに素直に乗っかれない潜在的な問題が隠れている。または、看過され続けている。
それでもとにかく力を貸して欲しい場合は、頭を下げて、謝ったり、お願いしたり、なにが直せるとこはないか聞いたり、交換条件を提示したりしていきたい。
好きな人のことは理解したくなるし、してあげたくなる。
好きでもない人は理解しようという気にならない。 ↑ここが問題。その人も自分の知らないところで苦しんだり悩んだり闘ったりしているはず。
また、関係上、その人を理解した方が得になるのなら、理解したほうがいい。
そして、得になるかどうか、その潜在性は分からない。
つまり、自分の周囲の人のことは、可能な限り理解する努力をした方が、得が多そう。
自分に優しくしてくれなかったり、興味を持ってくれない人に、優しくしたり理解に努めたりするのは苦しいけれども…。
いや、そもそもが違うのかな。アメリカでは、「彼/彼女は人と違うし、自分でもないんだよ」と、人との違いをありのまま受け入れるという。そして、その人とどのようにコミュニケーションを取ったり、何かをしてもらうのがその人や自分や全体にとって良いかを観察してトライアンドエラーする…感じ…?
理解は出来ないけど、外から観測した結果をもとに行動原理や特性を知る感じ?
何れにせよ、人を知るという労力はついて回るのだ…。
少しだけ勉強できたと実感したことが人生で2回だけある。
中学校の頃、数学のテストで学年トップに勝ったこと。トップの彼はその後、京都大学に入った。私は高校で落ちこぼれて、偏差値55ぐらいの大学に入った(でも大学として決してレベルは低くない、とても良い大学だった)。彼が京都大学の数学科に入ったのは全く自然で、なぜなら彼は本当に頭が良かったから。自分なら努力しても無理だと思った。なぜなら、彼は数学が好きで、楽しんでたけど、自分はそんなに好きじゃなかった。
高校のとき、英文解釈のある問題で、クラスで一番速かったこと。そして正当したこと。「おい、オマエ、いつのまにこんなに力つけた?笑」と、普段怒ってばかりの先生から褒められた。その先生とコミュニケーション取ったのは後にも先にもその時だけだったので、全くのノーマークを褒めてくれてとても嬉しかった。それに気を良くした私は慢心して英語の勉強を止めた。いや、英語だけでなく全部の勉強をやめた。「やればオレは出来る人間なんだ」というありきたりの穴に落ちた。結果、高校で唯一、平均点に達していた英語の成績も暴落した。
過去の栄光にすがって生きるのはみっともないのだろうけど、なにも成し遂げてない人生の中で、少しぐらい良い思い出に浸ることに甘えたいときもある…そのぐらい小さい人間だ、私は。
あと、傷つくのが怖くて人に深く入り込んで来なかった。あと、興味もなかった…。そういうとこが、よくないんだと思う。
叶わないものに、敵わないものに、全力で立ち向かって、きちんと負けることが足りないまま大人になってしまった。
恋も、勉強も。
婚活…。
今日知ったもの
世の中の成り立ちをブレイクダウンする本が見たい。宇宙があって、地球がある。地球に絞る。
生命活動と社会活動がある。 社会活動に絞る。
なぜ、社会活動があるか。 人は困ったら動くという大前提がある。 必然性というのは、原始的には困りごとだと思う。 また、予備的な活動、予防的な活動がある
(WIP)
頭いい人のイメージを挙げてみようのコーナー
- 数学、物理が強い
- 金融、政策に強い
- 断るのが上手い
- 小学生に説明するのが上手
- 弁論に強い、文書が上手
- きちんとした生活を送る
- おウチで飼ってるワンちゃんがお利口さん
- 子供が見てたとしても、そうするか?ということがなく筋が通っている
- こ綺麗にまとまったファッション
- ひとつひとつやれる
- 分からないことに納得しないと進まないことがない。一旦受け入れて続きの情報から漸進的に理解を重ねる
- 判断力と決断力があり、集団をまとめる役を買ってくれる
- 基礎を疎かにしない
- 間違いを素直に認めて、時には謝ったり、ときには人を庇ったりする
- 冗談や皮肉が上手
- 文物をよく読む
- 一旦最後まで聞く、すぐ否定しない
- ただし、間違いが自明なことはキッパリと否定する
- 図示が上手
- 無理をしない。ただ、追い込む時は追い込む
ここに歌が上手い、絵が上手い、漫画が描ける、作曲ができる、運動神経がいい、といった事項を入れなかったのはなんでだろう?
頭の良さも才能や運や環境も少なからず影響してくるはずなのに。
修養、訓練、練習、演習で身につくものは努力次第でなんとかなる。ある程度のセンスはいるけど。
その幅が大きいのかな。