「戦場のメリークリスマス」でセリアスがヨノイの中に種を撒いたように、私もオアー先生に種をまいてもらった気がする。
私は大学を中退した身で、また、当時、社会人になって8年も経っているというのに、linked.inで「君のプロフィール見たけど、クソだね」と、先生はお声をかけてくださった。
「私は今、君みたいな英語非ネイティブの人たち用のコンサルタントをしてるんだ。いくつかプランはあるが、やってみないか。もしお金がないなら、ある程度は無料でも看てやるぞ」
「お互い『それで飯食ってるんだ』という点でタダ働きしてしまうとキツイので、お互い社会人なんだし、お金払って受けます。月1万円の一番安いコースですけど…」
「オーケー。これで対等な立場という訳だ。私のことは『オアー先生』じゃなく『トム』でいいよ」
「いえ!さすがに恐縮ですのでそこは変えずにいきます!」
それからレジュメの添削が始まった。先生の質問は核心を突くものばかりだった。「感銘を受けた本を3冊上げろ」とか。私は読書をほとんどしないので困ってしまった。しかし、一人前の社会人たるもの、好きな本を3冊ぐらい上げられないようでは人となりに信頼感がないし、また、少なくとも3冊上げられるぐらいには読書しておけ、ということだと受け取った。
プロフィールを埋めて立派にすることは、それ即ち、人間形成と、パーソナリティの充実であると。
本当にもう話せないのだろうか?
大学のオフィスで先生と話していて「君はいつか会津に戻っておいでよ。そしてみんなに教えてあげたらいいよ」と言ってくださったことを覚えている。留年しまくってるこの私が?そんなこと許されるのか?でも、そんな風に言ってくださったのはとても嬉しかった。
先生の笑顔はいつも、とても素敵だった。
こんな落第者にあんなに暖かくしてくださって。私は果報者だ。
来年か、再来年にでも、先生のお墓にお参りにインディアナポリスに行きたいと思う。