チラウラヤーン3号

その辺のプログラマーのチラ裏です。

アル中カラカラの最新?

声が似てる…

でも登場人物の顔出ちゃってるし違うか…

それにしてもSNS共有のしにくいサムネよ。

この後の動画でコメとパフェ食ってるんだよね。カラカラは炭水化物とってなかったから、バズり狙いの偽物かなあ

追記

コメントによると偽物らしい。

ふー

さみしさや欠落を覚えているうちは、何かを作りたいという気持ちから完全に離れずにいられるような気がした。

たぶん、みんなそれぞれに頭の中に理想の世界はあって、少しずつそこに向かって頑張ってるんだと思う。

自分もそうなりたい。

スロウ

スロウ


苦しい時は逃げるに如かずで、そこには完全に同意なんだけど、自分の弱さから逃げ続けているとやがて袋小路に入り込んでしまう。。。

例えば、計算コストや構文解析について、など…いずれは克服したい。

日本の大企業の偉い人、行政の偉い人、政治家の、ITと科学、学習マネジメントとピープルマネジメント、教育的コミュニケーションのリテラシーを2年ぐらいかけて本気で研修してもらうだけで日本は変わるのでは?

あ、ダメだ。フィールドには常に視聴率主義的障害が発生するから、一般市民のリテラシーも上げないと「いや、プロダクトとコンテンツ、技術はとても優れたものができたんだけど、大衆ウケしなくて金にならないんだよね…」と、結局、先細っていってしまう…。

ハッ!?それって、結局、いろんな人たちが啓蒙してくれてる活動そのものか…。

それができたら苦労ないわ、という話でしかないのか。

「xxは義務教育で教えるべき」論と同じで、入れ込む経済的余裕、時間的余裕、リソース的余裕がない。

木こりの斧問題はすぐには解決しない…。

子供は大したことない感覚の怪我の時でも、念のために泣いて大人を呼び寄せることがある。程度を測る判断材料となる知識が不十分なので、安全側に倒している。よくできている。

ソースは自分の小さい頃の記憶。

なので、子供が泣いている時には「主に痛いのは体と心のどっち?よし、君は僕の言っていることが理解できているね。いいかい?今回の怪我に限ってだけど、これは死ぬほどの怪我じゃない。傷は2週間ほどで塞がるはずだ。念の為、医者に診てもらおう。それから原因をあとで分析しよう。いいかい?今の説明が理解できたなら、もう泣く必要はないよ。知らせてくれてありがとうね。次にもし同じ怪我をしたら今回のことを思い出してね。判断が付かない場合は何があったか近くの大人に説明するといい。それでも分かってもらえなかったら、大袈裟に泣いていいよ」という実験をしてみたい。

村の小中学校あるあるを思い出してみる。

町や市から転校生がやってくるとどよめく。都会もんにナメられねえぞ!という奴もいれば、都会ってどんなとこ!?と興味津々な奴もいる。

県外から来たとなればもう留学生のようなもの。

東京にいたことがある、とかだともう芸能人。

飛行機に乗ったことある生徒が少数派だったし。

ALTの外国人の先生なんかもう、異世界から来た人。アレはいい制度だと思う。田舎って、外に出ない人は本当に出ない (縛られて出れない) から、貴重な触れ合いの機会だと思う。

日本寄付財団のPRクリエイティブに石野卓球が楽曲提供していることを知った。

SHAMEFULみたいなのを作ってくれと頼まれたのかな…。劇伴もそうだけど、クライアントから楽曲イメージの制約があった場合、他曲とよく似た曲になったり、逸脱が制限されるケースがある。そういうオーダーがあったのなら仕方ないけど、単調過ぎてキツい。まだ関西電気保安協会の方がマシだったように思う。

卓球のソロワークは元々ミニマル傾向があり、近年その傾向はますます強まっている。とは言え、個人的にはもうちょっと起伏が欲しい…。

坂本龍一は「東風のような曲を」とオーダーされて花王アジエンスのCM曲を作り、見事に換骨奪胎してみせた。

石野卓球についても大友克洋監督MEMORIESにおいて「映画館で踊れる曲を」とオーダーされてIN YER MEMORYを作った。あの頃の卓球はキレキレだった。坂本龍一作品の完成度に比肩する強さがあった。

今作はフロアで流しっぱなしにする分には悪くなさそうだが、MVと併せて見るにはなかなか厳しい。ルイ・ヴィトン150周年を記念して坂本龍一が作曲した+33のように、イベント会場でループさせる前提なのだろうか。それならまだわかる。

良くも悪くも大御所になってしまったということだろうか…

IN YER MEMORY

IN YER MEMORY

  • 石野 卓球
  • アニメ
  • ¥255

Asience-fast piano

Asience-fast piano

SHAMEFUL

SHAMEFUL

+33

+33

(wip) お笑いを考える。

例えば、集団の中でふざけてるやつがいるとする。そいつに対して「帰ってもらっていいですか」と言うタイプの笑いを考える。

この時、発言者によって笑いのintensityが違う

  1. 松本人志
  2. フット後藤
  3. 関根勤
  4. かまいたち濱家

サンプルが直行性においてベストじゃない気がするけど、一旦進めて、このときおそらく面白さの順は、文脈にもよるが令和4年現在においては平均的に

d > b > a > c

になるのではないか。

dとcの違いは何か。

cは世間に「いい人」であることが認知されてしまっているというのが問題な気がした。 「この人が今言ったことは本心ではない」ということがネタバレしてしまっているのだ。

aの場合は、半分ネタなのは世間もわかってるけど、半分ぐらい本心で思ってそう、というところが加点要素なのではないか。

d の場合は言うてもまだ若手であり、階級の中では上のクラスの下、という位置付け。一定の評価は保証された上で、いじられる側(弱者) による、いじり返し、という点で加点される気がする。

それぞれのキャラクターから次のようなファクターを抽出する。

  • いい人さ
  • 何を考えているのかわからない度
  • 自分勝手さ
  • 面白いことを言ってくれそうな期待度(実績から生み出される)
  • 動じなさ
  • 小心者度
  • 演技力

ファクターをもとに考える総論として…

  • 効果的な面白さの演出はキャラクターによって最適解が異なる。
  • 一度認知されてしまうと、そこから無理に別キャラの要素ありきで成り立つ芸風を頑張っても厳しそう。

となると一見「いい人」は不利に思えるけど、ここで「毒」の効かせ方が重要になるのではないか。「この人こんなこと言うんだ(でも誰も傷付いてない)」

事象→連想→あるある→少しの失敗?のおり混ぜ

により、機械的にまたはフレームワーク的に、恋愛弱者であっても、場に笑いを発生させられるのではないか、という淡い期待