誰にも優しく過去に後ろ暗いこともなく…なんて人生はもう無理。そんな清算が可能な人生ってもんがあんなら、尼寺なんて無い訳で。業って言葉を作ってくれたインドに感謝。
30年前、情報の個人発信は一般的ではなかった。本当に、普及したんだな。プラットフォームさえあれば、人は行動するようになる。入れ物を作ることの重要性。
なんかもう、日本の教育とか政治とか国際競争力とか、ITシーンとか、「アメリカには敵わないし」って諦めちゃってるとこがある。それが当たり前に。トップを走り続ける勇気、責務は大変なものだろうけど、もうちょっと日本は日本で自信を持ちたい。
日本は、って言ったけど、要は、自分が、ってことなんだけど。
「結婚してえ〜」って言いながら、なんの努力もしないの、「東大行きてえ〜」って言いながら、勉強しないのに似てると思った。
勉強したくねぇ〜!努力したくねぇ〜!でも出来る様になりてぇ〜!
12時に昼ごはん食べるなら6:30〜7:00にら起きるべきだったな…。
科学系が実験とデータの分析を以って真理を探究するのに対し、哲学、人文学、社会学は、論理と考察を以って真理を探求するものなのかな。
科学的態度は一見、確かなようにも見えるが、常に自己批判的視点を求められる。確からしさが強固に補強されるからこそ。
けいたーいでんわーさいふーかぎー定期てーちょおー名刺入れ社員証〜♪の歌、未だに役立ってる。ありがとう0655、佐藤雅彦さん。忘れ物撲滅委員会の歌は秀逸だったなあ。
— ヨ (@peketamin) 2019年12月1日
電車で座ってたら隣からオナラの匂いがしてたまらなくなった。でも、体調が悪い人は仕方ないし、我慢は体に良くない。自分に置き換えても、オナラを我慢するのは辛いし、出ちゃったオナラが臭かったとしても寛容に受け入れて欲しい、と思ったら、急に気持ちが軽くなり、許せるようになった。
人から本を勧められて、最後までちゃんと読んで返すことが出来る人、存在するのか…?もしいたら尊敬する…
歴史を勉強しないとエンジニアたちとの飲みの席での高度な飲み話についていけないと痛感した冬の夜。
個人的にすごく「わかる!」「なるほど〜面白い...」と感じる対談だった。
椎名林檎が語っていたこと
- ショーをやっているときは、アイアンマンのように鎧を装着したような状態
- 涙が出るほど喜んでもらえることはなんだろう、という点を目指してショーをしている
- 本体である自分の印象が薄いほどよい
- 裏の労力を見せたくない。「これちょっと昨日考えたやつなんだけど〜」
- 文化的素養があったり、教養が高い人にしか受けないような作品を作ってはいけない、と思っている
- (一方で) 作品では自分が面白いものを作っていて、同じようにそれを面白いと思ってくれる人に来て欲しいと思っている
- 一度には一つの仕事しか受けないようにしている
- ただ、既に作り終えた作品についてのメール返信などの割り込みをするときは、机を変える
- Mr.マリックの助言だったそうだ。景色をかえることだと。
- モテたいとか面白いと思われたい、とかをなくした素の自分の時間が大事、その時に生まれたものは面白い
- 評論は、いろんなことに詳しい人が、作品の説明のない深さを言語化して人に伝えてくれる評論が良い評論。
- 詳しくて否定しかしない評論は、何も生まない (改善につながることもあるけれど)
- 作品を作る時、誰にも会わなくても、家でもエプロンをし、襟のついた服を来て作業をしている