平成の名曲リストに必ずしも自分も好きな歌が入ってないことを考えると、TVショッピングで売ってるようないわゆる「昭和の名曲コレクション」にも当時の音楽通が聴いてた曲は収録されてないだろうことが想像できる。
同様に、はてブやTwitterで時折話題になるように、文化的な文脈は当時の「大衆」的な理解を正史として綴られがちなことがわかる。 そこには次のような情報が欠ける
- 本人の切り取られてない意見
- 大衆の切り取られてない意見
- 知識が不十分な人のお気持ち的な意見ではない、造形の深いオーディエンスの見解
- 誇張なしの事実
- 裏方的な無名の関係者
発明品や文物にも作者不詳のものが少なくない理由にはそういうのもあると思う。 当時の玄人が認めても大衆の記憶からは風化してしまった成果物があったはず。
歴史は勝者が綴るバイアスはよく言われるけど、武力以外にも、マイノリティの声や成果は失われたものも多いのだろう。
歴史を正しく綴るのは難しいね。 今はSNSのおかげで、例えばゲーム史の訂正が行われていたりして、歴史上類を見ない訂正機能が働いている。それがこれからも続いて行くことを期待したい。
この浄化作用は科学論文やOSSの理念に近いものかも知れない。間違った情報が排除されていく仕組み。
ポストBBSは人類にとってまごうことなき重要な発明品だったのだ。