前にいた職場の偉い人が
- 顔が綺麗で
- 身長も高くて
- 東大卒で
- 筋トレも強くて
- システム開発力も高くて
- 奥さんが美人で
- 交友関係も広くて
みたいな完璧超人だった。
それとは別に僕の親友は
- 彼女いなかったことがないくらいずーっとモテてて
- 結婚して可愛い子供にも恵まれて
- 肉体はムキムキで
- ファッションもカッコよくてオリジナリティがあって
- 話も面白くて、頭の回転が速くて
- 読書家で文学に精通してて
みたいな、自分からしたらこれまた完璧超人。
じゃあ「彼らと入れ替わりたいか?」って聞かれると、入れ替わりたいとは思わないのはなんでだろ?
どれだけ憧れてどれだけ好きな人でもどれだけ偉大な人でも「じゃあ、その人と入れ替わって生活したいか?」といわれるとそんな気にはならない。それが成田凌であっても岡田准一であっても村上春樹であってもキアヌ・リーブスであってもフォン・ノイマンであっても。
それはいいことなのか?よくないことなのか?
「今からお前は完璧な人間になる。生活にも恵まれて、幸福な人生を送る。ただし、今のお前は一度死ぬ。記憶も引き継がれない」
あー死ぬのが嫌なだけなんだな。なるほど。でもそれって贅沢な話だよなと思わないでもない。カースト制度で一生し尿を汲み続ける人や完璧を求めて去勢をして自分の性器を食べちゃうような人たちに聞いたらなんて言われるだろうか。「あんたは自分が可愛いだけの甘ったれだ」って言われる気がする。
自分に執着しすぎてる気がする。何をどうしようが明日から自分の遺伝子や脳味噌のデータをゴリっと書き換えたりはできないし、異物を細胞内に取り込んだりはできないんだから、執着しなくても自己は非自己にならない。
えーと、なにが問題なんだっけ…。忘れた。眠いのでとりあえず20分だけ寝よう🥱