なにか人の行動をを止める場合、「ダメです」じゃなくて「いけません」と言えるようにしたい。
「ダメ」は否定感が強い気がする。「いけない」なら「禁止」のニュアンスがあって良いのではないかと思った次第です。
「恥ずかしい」「こんな俺がそんな声かけるなんておこがましい」「馬鹿がバレたら嫌われる」
こういうのが怖くて人を誘ったり出来なかった。
でもそれって逆にプライドが高いというか…。
でも例えば、想像してみる。こいつぜんぜん話合わないな、とか、わかんねーやつだな、という後輩や先輩から食事に誘われたらどう思うか。
うーん。半分嬉しいけど、相手が得するような情報を与えられないのが心苦しい。
でも誘われたら嬉しいから、誘うといいんだろう。
自分は他の人に、あの人ほど迷惑かけてないと思ってるけど、おそらく、そんなはずはない。幹事みたいなことやっても、「いや、そうじゃない…」みたいに思われることが多いので…。
だから、お互い様だという心で見ていこう。
自分は気分屋なので、外から見るとムラっ気があると思う。だから、イライラしたときはそれをいっそ認めて、振る舞いに気をつける方が望ましい。
まずは自分の「そんなはずはない!」というところを受け入れるところから…。
生きていく上で辛いことの一つに、頑張って何かに取り組んでても能力が上がらない、上がっている気がしない日々を送ることがあって、でもそこで大事なのが、目に見える変化がなくても、辛くても、まずは毎日5分でもいいからやり続けることなんだと思う (自分に言っている)。
超古代文明はことごとく否定されてしまったようだが、それでも…それでももしそんなものがあれば…ずっとワクワクしていられるのに…
幼い頃は我慢が効かない子だったように思う。今よりも。てことは、我慢は学習で身につくのだ。スキルだ。これは希望だ。「理性」は社会性の重要なスキルで、訓練で身につく。ある程度は。
無駄な快楽を我慢するんだ。糖質、休息、睡眠。
「この生きづらさ、恐怖感、不安感、劣等感や妬み嫉みは、どうやったら無くなる?君なら分かるんじゃないのか?」
「その生きづらさはなくならない。まず、それを受け入れることだと思う。目を背けて向き合わないからパンチを食らう。そして、単に減らそうとするんじゃなくて、何かで相殺しようとするぐらいは試してみると良いかも知れない。君はポンコツで穴の空いたバケツだけど、ものは捉えよう。」
まずジョギング、筋トレ、呼吸法。心より先に体をコントロールすれば我慢力も上がり、少し落ち着く。
あかん、スガキヤの店舗でラーメンとあの変なゼリーの飲み物食べたい…