チラウラヤーン3号

その辺のプログラマーのチラ裏です。

あれは小学生の頃だっただろうか。ある日、家に仕掛けられていたネズミ捕りにネズミがかかっていた。母に「裏の川でそのネズミを沈めて殺してきて」と言われ、まあ、川にこの器具をブクブクと沈めるだけなら、と了承した。

甘かった。水に浸かっていく時に、ネズミがキーキーと鳴き喚くのだ。見た目は可愛らしいものだから、この手でその命を絶つというのがまた衝撃と混乱をもたらし、可哀想で可哀想で、沈めては上げてはを繰り返して、長くいたぶってしまった形になった。「ごめん、ごめん」と何度も言いながら、容器を上下させているうちにネズミは鳴かなくなった。体力が尽きたのだろう。一応これで言われたことは果たしたぞ、とやや安堵し、母の元へ戻り、どうだったかを報告すると、こんなことを言われた。

「命を奪う相手に『ごめん』と言ってはいけない。あなたのおばあちゃんも、そう言っていた。そんなことを言ってると憑かれてしまうよ、と。それから、何度も沈め直すのは返って残酷なことなんだよ。長く苦しませてしまうのだから。」

あれは…なんだろう…虫や魚、爬虫類、両生類までは殺すこともあったが、毛がふさふさ生えた動物を殺すっていうのは…貴重な体験だったと思う。

当時の家は、屋根裏にネズミの巣があったようで、夜になればドタドタと彼らの足音が響いていたし、ネズミの糞が居間のカーペットに落ちてたり、多分、食べ物への被害もあったのかな。だから、捕まえたネズミをその辺に放すということも出来ないことだった。農村に住む者にとって、利害関係的にネズミはただただ敵でしかない。生活圏内に入ってきて、害を及ぼすなら排除するしかなかった。

カーペットに落ちてたネズミの糞を、こぼしたチョコレートのかけらだと思って口に含んだこともあった。すぐ吐き出したけど、噛んで飲み込んだりしなくて良かったと思う。


  • 「独学は非難すべきもの」
  • 「君は自分のこと賢いと思ってるかも知れないけど、そんなことないよ。どっちかっていうと馬鹿より」

これらの言葉を授けてくれて、自意識の呪いを解いてくれた友人たちにとても感謝しています。アーメン。


「いくつになってもやってやりゃいいんですよ」かつての共著者が言ってた言葉だ。

まだ起業もしたことないし、サービスを作ってすらいない。これからだ。


今日もまた見栄を張ってしまった。計算が苦手なら「計算が苦手で…」、英単語が分からなければ「こんな綴りでしたっけ…」とでも素直に言えばいいのに、取り繕ってしまった。

素直になりたい。

また、年齢相応に堂々としていたい。


自分の小ささを気にしてる時点でもう小さいのでは??

俺は失敗する生き物だ!その都度反省 (というか、振り返り) をして生きていけばいいさ!


ネットが普及し始めた頃ならいざ知らず、さすがにこれだけ一般化した今日であれば、広告をクリックする人なんてめちゃめちゃ減ってるんじゃないか?少なくとも、20歳以下の子らはリテラシーによりネット広告なんて身に入らないんじゃないかと思うのだがどうなんだろうか。

気にしてるのはつまり、ネット広告稼業なんて段々と先細っていく分野ではないのか?という事と、新しい広告の仕組みが必要なのでは、というチャンスの両面。