チラウラヤーン3号

その辺のプログラマーのチラ裏です。

自分の発音を録音して練習するといいそうだ。また、発音時の口を録画する。 あと、同じ映画を4, 5回見るのが重要な訓練らしい。 まず、母国語で見て、ストーリーを頭に入れる 。 次に、英語音声と日本語字幕 次に、英語字幕、 次に字幕なし、という具合に。


A pretty face Graded reader level 1


「なんで?」はあまり良くない。今の上司の口癖。かつての上司の教育方法もそうだった。「なんで?」を繰り返すのは、否定感を強め精神的負荷を与えるのでよくない。「〜をした何か特別な理由はありますか?特に理由がなければ、必然性がない限り、過剰に予備的なコードを盛り込むのと複雑になってしまうので、良くないです」などと明確に言っていくほうがよさそう。「自分の頭を使って考えて欲しい」場合は、自分が普段の中でそういう行動をとって背中を見せてあげるのが良い。それで気づかない場合は、多分、まあ、しょうがない。その人にその方向での本質的な向上心がないのだろうから、興味を持てるように啓発していくことになるだろう。


「口に出しては言わないけど、あの人ちょっと〜〜なところがあるよね」というのは、直接聞きたいことだったりする。 本音で言い合う、匿名のコミュニケーションツールが欲しい。 でもそれって、他人の変わっているところは認めないとかそういうアレになっちゃう?


年々精神的な成長速度が遅くなっていってる気がする。もともと年齢より3歳ほど幼かったのが、今は6歳ぐらいに広がってしまった気がする。


tiktok、動画版Twitterという構想に近いものがあると思うけど、こんな形でかー…コミュニティ形成はむずいね


‪音楽と飲み物があればどこでも最高だミシ、って黒田硫黄も書いてたし、酒が飲めない人向けの‬バーが欲しい。美味しいジュースが飲めるバー。


ワンダーフルーツという店で正にうまいジュースを飲んだ。あとジューススタンドは小田急にもJRにもある。もしかしてバー形式は合わないのか?


イオニアのコンポのCMを見ていた。スカパラが見たくて。自分が5歳の頃からカッコよさが変わらず30年以上活動してて未だに古臭くないっていうのは驚異的だな。最初から洗練されてたんだ。ファッションも音楽も。稀有で、素晴らしい。

スカパラは最後のCM。


‪1977~1993パイオニアCM集‬


小林銅蟲NHKきょうの料理にでも出る未来が到来すれば料理番組業界ももう一皮剥けるのではないのだろうか


Vim勧めるならSKK勧めて欲しい。

YouTubeで 「graded readers」 で検索して出てくる英語のリスニング教材、結構いい感じ。

やっぱり、話がある程度はつかめるぐらいの難易度の方が、楽しみながらやれる気がする。

「ちょっと難しい」レベル (コンフォートゾーン=日常の負荷から1段階外れたラーニングゾーン) で訓練していくのが成長のコツらしい。

春の歌

春の歌


How are you doing? How's going? などの返事が excellentとかpretty good とかなのって、やつらは日常的にお互いを元気付けてる=>他人を元気にする、声をかけて気遣う、社会の一員として責任を負うのが普通の感覚になっているということか…!?マネしたい。


自分で会社を作ってみたら…という想像をしてみた。まず、社員には良い給料を払いたい。スタート時には優秀な人に土台を築いてほしい。となると、年収1000万か?月収にして85万円。

月に85万円も稼ぐサービスのイメージがつかない…。サブスクリプションで3000円/月のサービスだとして、300口は契約してもらわないといけない。

そもそも、会社運用するには人件費以外にもオフィス費用もかかるし、俗に人件費の3倍は必要と聞いている。

いやー…儲かるサービスって…すごいことだわ…加えて、会社に対して持ってた不満というのは…自分が経営者なら「給料が出るだけマシなんだって。嫌なら他へ行っていいから…ごめん…」ってなる。

だから、もし良いサービスアイディアが浮かんだとして、会社をやることになっても、ゆっくりとしか人を増やせない気がする。


ドリフターズ6巻を読んだ。そうだ。豊久のように、死ぬときは笑って、思う存分、命を捨てねば。


会社の同僚とたこパーした。みんなで作るので、パーティ感があって非常に良かった。

おそらく、私だけがアラフォーだったと思うが、20代の若者たちに混ざってたこ焼きを作るのはとても楽しかった。


かつて、尊敬するハッカーが「『好きな授業は?』と聞いて『道徳』と答える子が一人もいない日本を変えたい」と言っていた気がする。

倫理のことを扱ったこの漫画が変えてくれるかもしれない。


小学生の頃、頭が良くなりたくて、でも「考える」「考え続ける」ことが苦手で、数学でも中学校入試に出るような問題は本当に解けなくて、考える苦労をしなくても済む方法を自分なりに考えて出した結論が「知識と知識を得るためのリンクを集める」ことだった。

知識をいっぱい集めれば、いつしかそれらが勝手に動いて、頭の良さを生み出すんじゃないかと期待していた。でも、そんなことはなかった。いや、あるのかも知れないけど、自分は知識をため続けることすら苦しくて出来なかった。本をじっくり読むことが出来ない。

大事なのは「焦らずにじっくりとひとつずつ取り組むこと」だったんだ。それをまず最初に知るべきだった。

欲を捨てよう。ひとつずつやっていこう。

外に出よう。活動しよう。


綺麗な仕事で稼ぐのは難しいことなんじゃないのか?ロクでもない方法でも稼ぐことは出来るだろう。

まずはやってみてからなんじゃないのか?


梅はその日の難逃れ、ですね。朝の梅干しは良いものだ。


外国人実習生と働いたことのある人曰く「あいつら、真剣さが足らん。ヘラヘラして、品質落としたり失敗したりしても全然反省せん。言うこと聞かんし、遅刻はするし…」みたいな話を聞いてると、「うーん…」となった。まあ、事情は現場によって違うのだろうけど、安全地帯の外野から偉そうなことだけは言っても何もいいことなさそうな気はした。

なにか人の行動をを止める場合、「ダメです」じゃなくて「いけません」と言えるようにしたい。

「ダメ」は否定感が強い気がする。「いけない」なら「禁止」のニュアンスがあって良いのではないかと思った次第です。

ペケペケ

ペケペケ


「恥ずかしい」「こんな俺がそんな声かけるなんておこがましい」「馬鹿がバレたら嫌われる」

こういうのが怖くて人を誘ったり出来なかった。

でもそれって逆にプライドが高いというか…。

でも例えば、想像してみる。こいつぜんぜん話合わないな、とか、わかんねーやつだな、という後輩や先輩から食事に誘われたらどう思うか。

うーん。半分嬉しいけど、相手が得するような情報を与えられないのが心苦しい。

でも誘われたら嬉しいから、誘うといいんだろう。


自分は他の人に、あの人ほど迷惑かけてないと思ってるけど、おそらく、そんなはずはない。幹事みたいなことやっても、「いや、そうじゃない…」みたいに思われることが多いので…。

だから、お互い様だという心で見ていこう。


自分は気分屋なので、外から見るとムラっ気があると思う。だから、イライラしたときはそれをいっそ認めて、振る舞いに気をつける方が望ましい。

まずは自分の「そんなはずはない!」というところを受け入れるところから…。

ツィゴイネルワイゼン 作品20

ツィゴイネルワイゼン 作品20


生きていく上で辛いことの一つに、頑張って何かに取り組んでても能力が上がらない、上がっている気がしない日々を送ることがあって、でもそこで大事なのが、目に見える変化がなくても、辛くても、まずは毎日5分でもいいからやり続けることなんだと思う (自分に言っている)。


超古代文明はことごとく否定されてしまったようだが、それでも…それでももしそんなものがあれば…ずっとワクワクしていられるのに…


幼い頃は我慢が効かない子だったように思う。今よりも。てことは、我慢は学習で身につくのだ。スキルだ。これは希望だ。「理性」は社会性の重要なスキルで、訓練で身につく。ある程度は。

無駄な快楽を我慢するんだ。糖質、休息、睡眠。


「この生きづらさ、恐怖感、不安感、劣等感や妬み嫉みは、どうやったら無くなる?君なら分かるんじゃないのか?」

「その生きづらさはなくならない。まず、それを受け入れることだと思う。目を背けて向き合わないからパンチを食らう。そして、単に減らそうとするんじゃなくて、何かで相殺しようとするぐらいは試してみると良いかも知れない。君はポンコツで穴の空いたバケツだけど、ものは捉えよう。」

まずジョギング、筋トレ、呼吸法。心より先に体をコントロールすれば我慢力も上がり、少し落ち着く。


あかん、スガキヤの店舗でラーメンとあの変なゼリーの飲み物食べたい…

あれは小学生の頃だっただろうか。ある日、家に仕掛けられていたネズミ捕りにネズミがかかっていた。母に「裏の川でそのネズミを沈めて殺してきて」と言われ、まあ、川にこの器具をブクブクと沈めるだけなら、と了承した。

甘かった。水に浸かっていく時に、ネズミがキーキーと鳴き喚くのだ。見た目は可愛らしいものだから、この手でその命を絶つというのがまた衝撃と混乱をもたらし、可哀想で可哀想で、沈めては上げてはを繰り返して、長くいたぶってしまった形になった。「ごめん、ごめん」と何度も言いながら、容器を上下させているうちにネズミは鳴かなくなった。体力が尽きたのだろう。一応これで言われたことは果たしたぞ、とやや安堵し、母の元へ戻り、どうだったかを報告すると、こんなことを言われた。

「命を奪う相手に『ごめん』と言ってはいけない。あなたのおばあちゃんも、そう言っていた。そんなことを言ってると憑かれてしまうよ、と。それから、何度も沈め直すのは返って残酷なことなんだよ。長く苦しませてしまうのだから。」

あれは…なんだろう…虫や魚、爬虫類、両生類までは殺すこともあったが、毛がふさふさ生えた動物を殺すっていうのは…貴重な体験だったと思う。

当時の家は、屋根裏にネズミの巣があったようで、夜になればドタドタと彼らの足音が響いていたし、ネズミの糞が居間のカーペットに落ちてたり、多分、食べ物への被害もあったのかな。だから、捕まえたネズミをその辺に放すということも出来ないことだった。農村に住む者にとって、利害関係的にネズミはただただ敵でしかない。生活圏内に入ってきて、害を及ぼすなら排除するしかなかった。

カーペットに落ちてたネズミの糞を、こぼしたチョコレートのかけらだと思って口に含んだこともあった。すぐ吐き出したけど、噛んで飲み込んだりしなくて良かったと思う。


  • 「独学は非難すべきもの」
  • 「君は自分のこと賢いと思ってるかも知れないけど、そんなことないよ。どっちかっていうと馬鹿より」

これらの言葉を授けてくれて、自意識の呪いを解いてくれた友人たちにとても感謝しています。アーメン。


「いくつになってもやってやりゃいいんですよ」かつての共著者が言ってた言葉だ。

まだ起業もしたことないし、サービスを作ってすらいない。これからだ。


今日もまた見栄を張ってしまった。計算が苦手なら「計算が苦手で…」、英単語が分からなければ「こんな綴りでしたっけ…」とでも素直に言えばいいのに、取り繕ってしまった。

素直になりたい。

また、年齢相応に堂々としていたい。


自分の小ささを気にしてる時点でもう小さいのでは??

俺は失敗する生き物だ!その都度反省 (というか、振り返り) をして生きていけばいいさ!


ネットが普及し始めた頃ならいざ知らず、さすがにこれだけ一般化した今日であれば、広告をクリックする人なんてめちゃめちゃ減ってるんじゃないか?少なくとも、20歳以下の子らはリテラシーによりネット広告なんて身に入らないんじゃないかと思うのだがどうなんだろうか。

気にしてるのはつまり、ネット広告稼業なんて段々と先細っていく分野ではないのか?という事と、新しい広告の仕組みが必要なのでは、というチャンスの両面。

実はなんか最近、突然真顔になってしまうことが増えてきた。会話の中で、いきなり感情が失速して、動きを止めてしまう感じ。

楽しそうな会話の雰囲気の時などは非常に申し訳なく感じる。いや、実を言うと、申し訳ないという気持ちすら、その場においては、維持するのが困難で、無感情に押し流されそうになる。

変に愛想笑いをすると笑顔が引きつってしまうから、少しだけ口角を上げたりしてみたりする。

こんな時はどうするんだっけ。

  • 皿洗いなどの軽作業を積極的にやる (作業興奮を起こす)
  • ジョギング
  • 深呼吸
  • ストレッチ
  • 鏡を見る
  • 片足スクワットや、片腕たて伏せ、腹筋
  • 文字に書き出す
  • オンライン英会話で話す

季節的なものもあるかもしれない。最近、頭がボーッとすることも多く、花粉症の可能性もある。

このままだとよくない。よくないぞー!シャイシャイシャイ!

グロリアス

グロリアス


↑に書いたことをやったら少し落ち着いた。脳は体の影響を強く受ける。胃腸も。

老いていくと物事を我慢する力が弱くなる らしいのだ。涙脆くなるのもその一つという説があるらしい (諸説ある中の一つに過ぎないのだろうけど)。

イライラして小物感を出すのもそうだし、度し難い仕打ちや状況に動悸がすることなんかも、そういうことなのかも知れない。

でも!体を鍛えれば…少しはマシになるんじゃないかと期待している。婚活するのであれば、せめてダイエットぐらいは頑張りたい。


なんでWebの婚活サービスは静的なデータだけでしか判断できないようになってるんだろう?

タップル誕生とTinderはフィード機能あるけど、マッチした相手だけなんだよね、見れるの。


自分が自分で思ってたほど賢くないことを認知できた時は憑き物が落ちた気分だった。


会津大、dokoというプログラムがあって、ruby版はrdokoという名前だったような。

ypを参照して、対象者のログインホスト名を返すだけのティッカー型ソフトだったと思う。

今更ながらソースコードを読んでみたい。

Notre-Dame Ouest

Notre-Dame Ouest

  • Anomalie
  • エレクトロニック
  • ¥200


定年後はプログラミング教員になりたいが、どうか。


小さい頃、なんで人が死んだ後に燃やして埋めるのか分からなかった。大事な人ならその形をそばに置いておきたいものではないのか?

昔は衛生的に無理だっただろうけど、今なら出来るんじゃないのか?

でも、多分、死んだ人はたまに思い出してあげるぐらいがちょうどいいんだろう。


努力してもセンスがマジでないとどれだけやっても身に付かない、的な話について。

適切なやり方と着眼点のズレ、フィードバックの感じ方などが大事で、それ次第では身についたりしないのかな。

「あっ、今のか!?」みたいな瞬間、スポーツでも数学でもあったことある。

それの積み重ね?


体調不良が続き、暗いことを考えがちだったけど、プリズナートレーニングして、大周天して、大竹まことのただいまPCランドみて小さい頃、いろんなことにワクワクしてた気持ちを思い出してきたら元気になってきた。

脳は体のいいなりだ。


協会やお寺に払うお布施の使途って聞いたら教えて貰えるのかな。運営費に消えるだけなのかな

慈善事業をしたいなら、手っ取り早いのは寄付からよね


まずは今の環境で英語かデータ分析、機械学習のどれか一つでも身につけたい。それが出来た暁には、どうやってそれが出来るようになるのかを、同じように困ってる人たちに伝えれるようになりたい。今このままじゃ足りない。


また、例えば、自分が子供を持てたとして、今自分が抱えているような厳しさみたいな状況は必ず避けては通れないだろうから、その時に何かを答えられるように、困難となんとか渡り合い、自分なりの一定の答えを出しておく必要がある。

初めて樫本大進の Summer (Presto) を聞いた時、こんなに重く鋭い音が出せる人がいたのかと衝撃を受けた。また、緩急のアレンジのつけ方も非常にドラマチックで、私の好みに突き刺さった。

この前、その動画を見直したら、あんなに突き刺さった感動が、なくなってしまっていることに気づいて愕然とした。慣れてしまったのだ。認めたくないが、部分的に飽きた、とも言えるのだと思う。認めたくないが。

https://youtu.be/Fj3TJ61VoY0

どうしたらいいんだ、こういうのは。本当はいつまでも、初期衝動を忘れたくないのに。

あ…!わかった…多分、もし、自分がバイオリンを練習してある程度のところへ行けば、より一層、すごさが分かって、さらには、アンサンブルをしてみるとベルリンフィルの凄さが分かって、あの感動に少しは近づけるかもしれない…そんな選択は出来ないけど…。

梅原大吾が言ってた「あの頃の楽しさに少しでも近づきたくてやってる」っていうの、そういうことなのかも知れない。

自分がコンピューターのことで感動したのって、なんだっけ…思い出してみよう。思い出して、そのときの感動に近づけるように努力出来るといいなあ…。


‪架空の嫌いなものをでっち上げて罵るとすっきりするのでは…?‬

きょうび、君が代のパンクロックバージョン作って歌ったからってウケると思ってんじゃねー!しょーもねーんだよ!バーカバーカ!なにがオリジナリティだ!死ねー!

つまりあれだ、自分の小さいとこをくくりだして、罵る。


銃の乱射事件の方が、各地で起きてる紛争より衝撃なのは、自分が行く可能性のある、安全圏だと思ってた場所が危険に侵されているという触覚と、慣れ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B2%E8%A1%8C%E4%B8%AD%E3%81%AE%E6%AD%A6%E5%8A%9B%E7%B4%9B%E4%BA%89%E3%81%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88


文学もアートだと思った。絵画にも構図の妙があり、練られた伏線がある。文学も同じだ。


すち子アンド真也のディスカンベランボンの曲、サントリーウィスキーの恋は遠い日の花火でないのテーマだよね


人の気持ちが分からないのは私も一緒だ。人任せだし、社交辞令を真に受けて気を利かせなかったりする。私は組織を負う立場に、そういう機会があっても、付くべきじゃないし、管理運用が出来ない分、他のことで一生懸命に生きないとなあ。