チラウラヤーン3号

その辺のプログラマーのチラ裏です。

「重要な情報との出会い」を単位時間あたりに多すぎる量で内部を通過させることで、結局、どれもしっかりと記憶や行動原則に根付かずに終わることがある。

もしその出会いが2月に1つであれば、驚きの初期衝動が維持され、脳にキープされ続け、行動原則に刻まれたであろう。

つまり、出会いは多すぎてもいけないのではないか。ちょうど良い按配は、初期衝動の持続期間の平均ぐらいなんじゃないか。

感受性が高い人なら4ヶ月は衝撃が持続するだろう。その場合、大きな出会いは1年に3つぐらいが適正で、その人にとってよく吸収し、血肉にできるペースと言える。

しかし、科学研究への予算投入についての問題と同じ問題がここにある。私たちは、大事な出会いを選択的に遭遇していくことができない。

よって、情報の多い現代社会では、出会いの機会は多いはずだから、よさそうな情報と出会ったら、優先度をつけ、スループット帯域から溢れたやつは、待機リストにpushしておき、現在、記憶に刻もうと味わい尽くす最中のものが枯れ次第、待機リストから次に血肉にしたい情報をpopするとよいのではないか。

……ここまで書いて思ったけど、それ、既にあるぞ、多分……。

積読というやつ……?

大事なのは情報の上流、源流寄りの情報だと思うので、そういうやつをキューイングしておいて、自分の消化ペースで血肉化していくのがよさそう…

ってそれ、大学のカリキュラムやシラバスというやつでは……?

なんてこった。既に道は用意されていたのだ。私がそれを道と認識していなかっただけで。

見えないものを見る力はどうすれば養えるのか…?どうすればバカ界からエスケープできるのか…。エデンの園の住人たちも似たような悩みを持ったに違いない。私には蛇が必要だ。「いい子でいるのが正義」という思い込みから逸れ、強く情欲に溺れるようなそそのかしが。

神の怒りに触れてなお、幸福に繁栄しようとする強い独善さと傲慢さが。