小学校4年生ぐらいのとき、スズメバチに頭と体をブッスブス刺された。「あれ、思ってたより痛くない…痛いけど。でもこんな一気にいっぱい刺されるの気持ち悪いな…痛いし」→いっぱい泣いとこう!みたいな感じでわんわん泣いた。
自分は成長が遅かったようにも思うが、3〜9歳ぐらいの頃って、泣いた方がいいかどうか考えてから泣くことがあったよね。痛いとか悲しいとかじゃなくて。なんというか、アラートを挙げる意味で。
アラート…。生命の維持のための…。
そういえばQuoraで「どうして女性は行為中に喘ぎ声をあげるのですか?」という質問があり、一つの説としてこういう話が回答にあった。
- ヒトはもともと乱婚であった
- オスのペニスにはカエシが付いている。
- 他のオスの精子が膣中に残っていても、それを掻き出し、他者の精子と競争する
- 行為中は無防備になるが、群れで生きる種なので種の維持のために周りのオスに協力をあおぐようシグナルを出していた
- その名残が喘ぎ声
なお、受精においては「一番乗りが勝つというわけでもない」という報告があるようです。
よくこんな仕組み考え出したなあ、細胞たちよ、と感心する。
いや、「考える」って行為は、こういう、無数の試行と反応の最適化の結果でしかないのかも知れないなー、なんて思う。
「考える」といえば、現代美術では感性だけでは成立せず、そこにきちんとした文脈と説明が必要なようで、つまり、感じるだけではダメで考えることも必要になっているとのこと。
現代音楽でも「再現性」が求められるので、それと似たような話かもしれない。