チラウラヤーン3号

その辺のプログラマーのチラ裏です。

ザッキー

そういえば。

facebookは別にSNSの発明者では無い。なんでこんなに流行ったんだろ。アイディアを生み出した人よりも、それを外から利用してでも理想的な形で実現・改善し続ける方が強い、ということか。当たり前か。だからこそ、特許とか実用新案とかがあるのか。新規性のアイディアそれ自体はそれらで保護できないようだけど (それはそうか)。

10年前、当時の上司に「facebookいいよね。UIが使いやすいよね」と言われてたまげた覚えがある。当時、mixiの方が利用者が多くて、SNSの中ではそのUIの方が馴染まれていた。 (facebookは今よりも大分使いにくいUIだった)

日本に限った話で言えば…

かつての2ちゃんねると同じかも知れない。あそこは決して多くの人にとっての操作性に優れたサイトでは無いが、人気になった。それはやはり「そこに行けば面白い人がいる」「面白い話題に会える」からだったのではないかと思う。

あめぞうなど、巨大掲示板の先駆者はいたけど。経営がうまい方が勝つのか。ソニーより松下、みたいな。商品開発力とマーケティング力では、マーケティング力の方が強い、と。

そういうのって、経営界隈では常識なのかな。

システムの優劣ではなく、コミュニティ形成で決まる、と。

ユーザー規模が一定数に達して、自律的な話題形成が出来るようになるまでは我慢が必要だけど。

redditも使いにくいけど、活発なサイトになっまし。

電通facebooktwitterにテコ入れしたのは、そこが広告運用可能なプラットホームになる可能性が見えたからなのかな。

ゴリ押しは本当に侮れない。音楽だって、優れた曲が売れるんじゃなくて、分かりやすくて歌いたくなる曲が売れるし、絵だって…漫画だって…。

商業主義的な。

いや、でも実際、仕事となれば食える方が大事だしなあ。ロマンで飯は食えないし…。それで食えれば一番いいけど、それだけでは食えないのが当たり前の人の方が当たり前に多い。

だって、「ロマン」の方は価値に客観性が無いし、美醜も一人称視点だしね…。

昔の芸術家みたいにパトロンがいれば、満足いくまで品質を追い求められるのだろうけど…多くの毎日汗水流して働く人々にとって必要なのは、音楽で言えばノれる音楽であって「新しい」音楽では無いし、アーティスティックな映画よりも、うっすら希望を抱けるような甘いファンタジーの方が癒しになるし…。

うーん、なんか複数の議論をごっちゃにして考えてる気がするけど、結局、どんな成り立ちであろうが、そこにそれを楽しんでいる人がいて、それを苦々しく思っている人より、送り手も受け手も、楽しんでいる人の方が多いのであれば、それは成立してそう。

全体から見れば、むしろ、両者がいてこそ、業界の新陳代謝が起きて次に状態が進むので、純粋に商業主義を撲滅せよ、という話にはならなそうだし、なっても世界が成り立たなくなりそう。

善悪関係なく、殺しに来る相手とも仲良くなってしまおうとする合気道の精神は、系そのものにとってはとても良いことなのかも知れない。

映画も、優れた作り手だけでは成立しないもんなあ。ジブリが売れてるのも、鈴木何某がいるから…作品も優れているけども。

そうそう、それに、商品の裾野が広がらないと、頂上も上がらないものね。とにかく生まれる作品が多くないと、優れた作品も生まれてこない。サッカー人口が増えたからこそ、ヨーローッパチームに行くほどの人材も増えてきた、的な。

でもやっぱり、山崎貴三池崇史の作品は認めたくないなあ…。

無限の住人をキムタクって…モテモテ王国並みの素晴らしい采配だ。

いや!待てよ!むしろ、こういう形で映画化しててもらっておいた方が、いつか本物が作られる機運となるのではないか?

ともあれカルタゴは滅びるべきである…

エイリアンズ

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腰痛でなにも出来ない連休だった

谷口ジロー神々の山嶺を読んで、ジム・ジャームッシュのコーヒーアンドシガレッツを観て過ごした。

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救いを求めて、近くのプロテスタント福音系の教会に行ってみたいと思い、調べていた。

パンとブドウジュースは洗礼を受けたもの以外は受け取ってはいけないらしい。また、洗礼は、定期的に礼拝に通ってないと提案されるものではないらしい。また、礼拝は日曜のみ、祈祷は水曜と、毎日やってる訳ではない。

躊躇した理由の中で大きなものが、献金と呼ばれる寄付制度だった。聖書では収入の1/10と決まっており、しかしながら、現実的ではないケースが多いので、3〜5%というところも多いそうだ。本質的には、「痛みを伴う額」が良いらしい。無くなっても痛くない額は意味がないようだ。分からなくはない。また、礼拝時にも少額、数百円〜数千円の賽銭のようなものもあるらしい。これは気持ち程度で良いようだ。

寺や神社でも、檀家や氏子になっていれば、施設維持のためにも信徒からの寄付が募られるので、これは別にキリスト教が金に卑しいという訳ではない。公共施設が税金で保守されるのと変わらないと思う。公共施設と違うのは、自分が使わなくても強制徴収されることはない、という点かも知れない。

ただ、礼拝にもこない、献金もしないとなれば、別帳会員という、幽霊部員扱いになるようだ。実際は経験してないので分からないが、顔が出しづらくなり、道で顔を合わせた時もバツが悪くなったりするのかも知れない。

礼拝が終われば、ささっと解散するものらしいが、近くの教会では、日によってコミュニティイベントがあるようだ。礼拝だけではコミュニティ参加は難しいようで、イベントがそのチャンスなのだろう。

イベントでは、グループワークがあり、そこでは聖書の輪読を行うようだ。自分の体験を話すこともあるようで、周りは聞き役に徹する、と。口を挟むことは違反とされている。もし話の途中で口を挟めば、その場は1対1の場になってしまうからとのこと。なるほど。

なるほど、協会はそういうものか、では寺はどうなんだろう。寺によっては、座禅や雲水、法話があるかも知れないし、神は超越者ではなく、仏とはいうものの、解脱した人間が生き方の見本だ。「赦し」というテーマとは少し違うが。

どちらが楽なのだろう。

いや、書物を読み合わせ、心を落ち着かせ、真理を探究すること自体が心の安寧を作るのであれば、読書会や、長期にわたるレポート作成をライフワークとすれば同じような効用が得られるのでは…また、真に自身のために金を使うことが出来るのではないか…いや、正直、協会に興味を持ったのは、もしかしてそこで将来の結婚相手を探すチャンスが潜んでいたりするのではないかという下衆な思惑もあったので、なにを考えてもどっちらけだ。

神よ、私は罪深い人間です。毎日、自分を慰めては、自己嫌悪に陥ります。

そこまで振り返って思ったのは、解脱は…忍耐にあるのかも知れない…食欲、性欲、名声欲、金欲、虚偽、怠惰と向き合い、我慢すること…。

仏法でも「救いは苦しみの中にある。苦しみから目を背けずに向き合うことだ」とある。

7つの大罪は同じことを言っていたのか?減量するボクサーのように、無駄を削ぎ落として、本来の感覚を取り戻すことが救いへの道なのか…?

でも、私は小さな人間です。大悟、小悟の後で、仏と言う名の慢心を槍で突き殺すだけの胆力がありませぬ。

死ぬときは、山で死にたい。

書き散らかしの、並木林。

Cosmic Girl

Cosmic Girl

オアー先生、安らかに

戦場のメリークリスマス」でセリアスがヨノイの中に種を撒いたように、私もオアー先生に種をまいてもらった気がする。

私は大学を中退した身で、また、当時、社会人になって8年も経っているというのに、linked.inで「君のプロフィール見たけど、クソだね」と、先生はお声をかけてくださった。

「私は今、君みたいな英語非ネイティブの人たち用のコンサルタントをしてるんだ。いくつかプランはあるが、やってみないか。もしお金がないなら、ある程度は無料でも看てやるぞ」

「お互い『それで飯食ってるんだ』という点でタダ働きしてしまうとキツイので、お互い社会人なんだし、お金払って受けます。月1万円の一番安いコースですけど…」

「オーケー。これで対等な立場という訳だ。私のことは『オアー先生』じゃなく『トム』でいいよ」

「いえ!さすがに恐縮ですのでそこは変えずにいきます!」

それからレジュメの添削が始まった。先生の質問は核心を突くものばかりだった。「感銘を受けた本を3冊上げろ」とか。私は読書をほとんどしないので困ってしまった。しかし、一人前の社会人たるもの、好きな本を3冊ぐらい上げられないようでは人となりに信頼感がないし、また、少なくとも3冊上げられるぐらいには読書しておけ、ということだと受け取った。

プロフィールを埋めて立派にすることは、それ即ち、人間形成と、パーソナリティの充実であると。

本当にもう話せないのだろうか?

大学のオフィスで先生と話していて「君はいつか会津に戻っておいでよ。そしてみんなに教えてあげたらいいよ」と言ってくださったことを覚えている。留年しまくってるこの私が?そんなこと許されるのか?でも、そんな風に言ってくださったのはとても嬉しかった。

先生の笑顔はいつも、とても素敵だった。

こんな落第者にあんなに暖かくしてくださって。私は果報者だ。

来年か、再来年にでも、先生のお墓にお参りにインディアナポリスに行きたいと思う。

水の戯れ

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