一回忌が亡くなった年の周らしく、三回忌は2周年目のことらしい。
仕事の都合で前日入りできず、朝早くの6:45発の電車にのり、羽田8:55発の能登行きで実家へ。
16人ぐらいの方々にご参加いただいた。
住職にお経をあげてもらい、みんなで唱和。 その後、みんなには家で待っていただき、家族は住職とともに墓へ移動。骨箱を墓へ持っていき、骨を納める。
墓前に架台を立て、焼香や果物を備え、経を上げた後、石蓋を開け遺骨を骨箱から取り出して入れる。骨壷ではなく、木でできた箱、そこに骨がそのまま入っており、灰になった骨もろとも直接墓石の下の空間にガラガラと入れる。手掴みで。遺骨を手掴みで墓下に入れるという行為に、家族皆で衝撃を受けていた。まあ、みんなやったわけだけども。骨の納め方は地域によって異なるらしい。
家へ戻り、皆で仕出しの料理 (お斎というようだ) を食べ酒を飲み、故人を偲びつつ、最近の話などをする。食べ物はお斎の他、寿司、茶碗蒸し、果物など多めに出る。食べきれないことが前提となっているようで、お斎の残りは持ち帰るのが通常とのこと。
午後3時ぐらいにはお開きとなった。
坊さまの話では、当日は、父が極楽へ行くか地獄へ行くかの審査の日 (阿弥陀如来の日と言っていた) とのことで、父と友人であった住職は、父の行き先はまあ地獄だろうと述べられ、皆を笑わせていたが、もとい、父はいずれにせよ、父の両親のところへ向かうと思っているとの話をされた。坊さんはオチをつけるのが上手い。邦楽は声明から生まれたらしいが、落語も寺の文化から生まれたりしたんじゃないかと思うほど、毎回、巧みに笑いを交えてくる。
翌日、世話になっている人たちに東京土産を渡しに、弟と一緒に方々を巡り、その帰りに近所の磯場へ寄った。自分にとっての海は、砂浜というより、磯場なんだと思った。立ち寄りが終わり、空港で土産を買い、能登を後にした。
庭木から顔を出すニャン助
近所の海によくいるウリクラゲ。櫛板を虹色の光が移動していくのがカッコいい