誰もわかってくれない辛さ、1人じゃない、出会えた奇跡、電話から聞こえる声、手紙に綴られた気持ち、無事でいてね、あなたの見たあの景色は、厳しい寒さ、熱くしたお酒
みたいなものが歌詞から消えていく。
便利さによって、焦がれるほどのドーパミンの高まりは消失した。
社会的な孤独成分が減りすぎると、人と繋がりたいという欲求も減ってしまって、みんな思い思いに安全に生きていってしまい、安全だが衰退してしまう。社会として衰弱してしまう。
ただ、強い欲求に駆られた衝動から生まれるものは、面白みのない単純さしか備えてなかったりして、いい塩梅が難しい。
「失って初めてわかった大切さ」みたいものを、もっと人工的に作っていく必要がある。
現代版、山籠り修行、の社会版。
便利さ快適さを捨てろとかじゃなくて、なんていうか、社会全体で禁欲的な遊びをする方がトータルでプラスを作れるんじゃないかっていう…上手く言えないけど。
ウェルビーイングとかデジタルデトックスとかもわかるんだけど、もう少し、なんていうか、穴を作るような作為というか。もう一段階ある気がしていて。
でもオレは欲しかったんだよ、LINEとTwitterみたいなものがみんなが使う世界が。それまでインターネットもチャットも専門家の日常的な知見も限られた人にしかアクセスできない世界だったし。とても幸せだ。だけど、大きな幸福にはおおよそ、難儀な副作用があるもので…。
