慢心して努力を止めるのって、怠惰とか悪とか、そういう禍々しい業のひとつのように捉えてたけど、その結果として皺寄せがくるとか苦しむことになるとか、それは素朴に、米を炊いてる途中で火を止めて食うとマズい、みたいな機序の話でしかないように、今更ながらに感じた。
米を食えるようにするには、単純に火を最後まで焚べるだけであって、何も辛い時に頑張れない奴は悪だ、みたいにしんどい考え方をする必要はない。
宗教や成功譚や恋愛ドラマなどの物語によって脚色されるそれは、抽象化による理解性の向上と、刺激による娯楽性を旨としてその方向に持ち上げられる力学が働くが、気にする必要はなかったのだ。 どれほど使えない奴だと批判を受けようが、理路にしたがって、まずは必要な結果を出すための必要な措置を取るだけで十分だったのだ。
政府としてそういった標準ガイドラインを出してくれていればいいのになあ…いや、それすらも内心の自由に介入することになってしまうのか?いやいや、一例としてだけでもいいからさ。
まあいいや。頑張るのは頑張れる時だけでいい。しんどい時は、心臓が動いて血液が循環してくれてるだけで満点。


