チラウラヤーン3号

その辺のプログラマーのチラ裏です。

学会葬なるものを初めて体験したんですけど、お経のコーナーが非常にトランシーで眠い。千日回峰行の動画で見たやつもトランシーだったけど、ちょっとそんな感じ。これは半覚醒に入るにはなかなかよかった。

説法はただテキスト読んでるだけで面白くなかった。決してわかりやすいとは言えず、また、なんらかの教訓や寓話もなかった。死は生を紡ぐものであり、その終わりにおいて故人は必ず天へ行けるであろうとだけ説かれて終わった。故人の思い出も特に語られず。

はあー。

爺ちゃんは婆ちゃんに言われたから無理矢理某学会に入れられたたけで、本人の意志は別だったと思うんだけどなあ。

誰もがその心を救われる権利があり、信仰の自由があるから、それは尊重したい。けど、死人に口なしなことを良いことに、「あそこの宗派と寺が嫌いだから、あそこの墓には家族を入れない」と、祖母の他人への尊重のない意向でわがままされるのを見ると、ますます某学会に良い印象を持たなくなった。

人の心に土足で立ち入ったり、他人に近寄った時に排他的な感情で対抗する彼女の姿勢は、臆病で非進歩的な印象だった。ただ、本人が幸せなら、それはそれで仕方のないことなのだけど。

臆病で攻撃的で、金や欲に執着し目が曇り耳を塞いでいたとしても、おそらくはその人も何かの被害者であり、不幸な家庭と生い立ちで人生がそうなったとしたら、変わる変わらない、出会う出会わないは時の運なのかも知れない。

家族との関わりをよりよくして欲しいと家族が願っても、それは難しいことが多い。はぁ。

池田大作研究 世界宗教への道を追う

池田大作研究 世界宗教への道を追う

  • 作者:佐藤 優
  • 発売日: 2020/10/30
  • メディア: 単行本


生い立ちや出会い、偶然手に入れた頭脳や肉体により、他者と仲良く交わり、執着のない人生を送る人もいる。

良くなる運が重なる人もいれば、同じように悪い運が重なる人もいる。雨の多い地域に生まれる人もいれば、晴れの多い地域に生まれる人もいる。

「気合と根性」

意欲の発露に対して弱化される環境では、継続というものはほとほと難しい。継続する技術うんぬんの前に、解決すべきステージがあるが、だいたいの場合においてそれは学習や成長といったテーマではなく、分断された別のテーマとしてしか語られないことが多い。双方向的ではないのだ。2つのテーマが連絡していない。

貧困の出身で功成り名遂げた者の素因を「気合と根性」に求めるのは筋が悪く再現性のない示唆であると考える。

そこに科学はない。しかし、あるべきである。


祖父の棺には彼の住まいにあった釣りの本を入れた。「なにか一緒に燃やしてあげたいものはないか」と納棺師に聞かれ入れたものだった。本棚を物色した際に、古い装丁の本をいくつか見つけ急にノスタルジックな気持ちになった。そうか、古書の魅力はこういうところにもあるのだな、と感じた。

新釣百科 (1961年)

新釣百科 (1961年)