チラウラヤーン3号

その辺のプログラマーのチラ裏です。

フランス語。

ボン・トラバーユ: 良い仕事

ということは、ボン・カレーって…知らなかった。

ボン・トラバイユ、ぶどうを半裸で素足で踏み絞る男性の動画コメントで見たんだけど、どこかで聞いたなと思ったらマスターキートンだ。コルスに話しかけるシーンだ。


メルカリのことを (マスクの高額販売を止めないなどの理由で) 叩く人の中で、Winny擁護してた人はいたりするのかな。


小さい頃、ワンダービートを見てて、言い知れぬ恐怖感を感じてた。多分、人間の思考に関係なく、無慈悲に動く人体と、その微小構造達に、人間性を感じられなくて、人間の中にあるのに人間性がないことに恐怖したんだと思う。



そういえば、中学校の同級生にヤンキー達もいっぱいいたけど、彼ら、頭の回転も速いし、常識も僕よりもあった。ただ、学校の勉強が嫌いなだけで。ダーツやビリヤード、ゲームが得意な人たちにもこのような人たちがいる。規則を発見し、継続的な努力をして、競争に勝つ力がある。

じゃあ、中等教育で、学問っぽいことを教えればいいかというと、それもまた良し悪しで、高速に計算したり考えたり暗記したりする基礎学習力を伸ばすのは若い時期が一番な気がしている。基礎学力がないことには、深度のある思考をしても、技術がついてこないというか、道具の切れ味が足りないと、まともに料理が進まないというか。

なので、本当の学問は大学院や企業へ行ってから、とか、それまではただ鍛えることに専念してもらってすまない!とか、本当の学問をやるための力をつけるのはそのくらい時間がかかるものなのだとか、予備校講師を参考に理解する喜びを与えるにはどうしたらいいか工夫するとか、学校教育の現在の設計意図を伝えるとか、これらの勉強がどう応用され、どう必要になる予定なのか、とかを折りに触れて伝えるようにして欲しい…。


ミッシェルガンエレファントの世界の終わり、歌詞の意味を考えたことなんか無かったんだけど、ふと、「これって、世界の方から自分に注目したり、変わってくれることをただ待ってるだけの人生を揶揄してる歌詞じゃね?」って思った。

狂ってるのは自分じゃなくて世界なんだ、とか、そんなこと思いながらも、まったりと紅茶のんで、その時がくるのを何も行動しないでただ待っている、とか、そんなこと繰り返してたら世界が終わってしまうよ、とか、そういう意味なんじゃないか?チバはそんな世界を変えたいと思ったんじゃないか?

「お前、なんもしないで文句ばっかり言ってるけど、それでいいのかよ?そんなボーッと生きてていいのか?それが美しいとでも思ってるのかよ!」みたいな。