チラウラヤーン3号

その辺のプログラマーのチラ裏です。

実家の猫、箱が好きらしい。シブい表情だ。


マネジメントのうまくいってない組織だと、

目の前のタスクでいっぱい→遅く帰るので勉強する時間取れない→業務の枠の中でしか開発力が増えないので、スキル不足にもなる→対外的に発表できることもない→開発力が低いままなので開発効率も上がらないし、アーキテクチャもダメなままでコスト改善できない→ループする

という感じで負の連鎖が起こる、というか、起きてる気がする。

なんというか、穴の空いたバケツで水を汲み続けることの消耗感を、感じる。


ここ最近、成長へのモチベーションが下がってきてて、良くない状況だと感じ、オンライン英会話と筋トレを少々やっている。

筋トレは某公共放送局の筋肉体操にて、腕立てを一度やっただけで、筋肉痛が続いているので少しお休みしている。 問題は英会話の方。本当にたわいもない会話なら、まあ、つまり、興味のあることは知っていることも多いから多少は言葉も出てくるものの、問題は、質疑応答、自分の意見、見解を陳述することである。

「日本の経済についてどう思う?」や「ダイエットに挑戦したことは?その結果どうだったか?」など、総合的なトピックについて問われた時、ぜーんぜん言葉が出てこない。つーか、日本語でも出ないからなあ…。英会話をマスターするには、きっと、より知的な人間にならないといけないんだろう。

知的な人間になるためには…読書かねぇ…。読書全然しないので、ほんと、そういうときにお馬鹿が露呈してしまう。

まー、腐らずにボチボチやっていきたい今日この頃です。


通勤中、今朝、急遽思い立って買い込んだB’zを聞きまくり、谷川俊太郎の「これが私の優しさです」をフィーチャーしたbirdの同名曲を聴いて元気もらっていた。

突き詰めると人は1人で生きている、と思いがちだけど、腸内細菌など、常在菌たちと共生しているので、そんなことはない。脳以外にも不随意に体は自分自身を守ろうと必死で絶え間なく動いている。よかったー、これで寂しくないー。


もっと会話を真似したり、書き物を真似したりしないと…。


前職の元開発部長と新宿で飲んだ。別れしなに「俺も頑張るからぺけさんも頑張るんだよ」と言われて涙でた。 スクラムのことと、ゲイリーオールドマンの「Everyone!!」は世界最高のエブリワンだ!という話をした。あとAKIRAは史上最高のアニメだ、という話もした。 それと人類が人口進化できるといいね、国力をあげたいね、みたいな話をした(政治の話は無しで)。

なかなか充実した飲み会だった。人との出会いと、みんなの優しさに感謝した。


「人間の体は3年で入れ替わる。3年すれば前のあなたはいなくなるんだ。人は変わらないはずがないよね」と言われたけど、心臓、神経、脳細胞はほとんど入れ替わらないと聞いたので、突っ込みたかったけど、無粋なので我慢した。彼が言いたいことの本質はそこではない…。

Excelはゴミ」という話も同意できない。


カラオケでフリータイム。鼻腔共鳴で歌えることが分かった。高音も比較的楽チンで、音量も安定する。しかし、音程がフラットしまくった。フラットっていうか、一本調子。まるで音程が上がらない。ずっと低空飛行。音痴。

  • 口角を上げて歌う
  • 鼻の上の方に声を当てる
  • 10セントぐらい高めで歌う

ようにしないと。

でも、鼻腔共鳴の感じが分かると、スガシカオGRAPEVINEの歌い方がそれであることに気づけて嬉しかった。


保育園児の頃、園の近くには農耕馬を飼っている農家さんがいて、馬小屋で馬と触れ合えた。優しい目をしていた、ような気がする。たまに道路を走らせていたような。今はもういない。


昔、インパラや犬やコオロギだった人たちが大勢いて、彼らは何度か人間に助けられたんだ。その時の彼らにとって人間は、自分を救った超越的存在で、その時の記憶が、後の神のイメージにつながったんだよね。だから、神はいない、というか、実は我々生命そのものがお互いを間接的に助けて寄り添い共に生きていることが実は神そのものでした、みたいな話を考えたけど、手塚治虫藤子不二雄も書いてたし、既にやり尽くされた感がある。


三幸製菓 丸大豆せんべい 11枚×12個

三幸製菓 丸大豆せんべい 11枚×12個

妹がよく食べてるんですけど、これめっちゃうまいっすね…とまらん


「日本は江戸時代でも識字率が100%近く、当時の世界の中では群を抜いていた」という言説をたまに耳にするけど、統計的調査手法の確立されてないであろう時代に、そんなことが分かるものかと疑い、調べてみると、やはり識字率の調査自体が難しいらしく、数値は当てにならないらしい。

日本スゴイですね」の自画自賛の走りだと思う。

だって、野口英世のお母さんは字が読み書きできなかったから、他の人に頼んで手紙を書いてもらったんだから。それより前の江戸時代、地方の農村民が全員文字を読み書きできたなんて到底思えない。

字の読み書きができるっていうのは、有り難いものだなあ。そう考えると、紫式部清少納言などがいかに才女であったかが伺える。そりゃモテそう。

一応、明治政府が江戸末期の識字率の推定調査をしたらしいが、「自分の名前をかけるかどうか」を基準としたらしく、文の読み書きができるレベルとはちょっと隔たりがあるように思った。


‪新人教育について元上司に相談したら「なんで育てたいの?」と聞かれ「戦力になって欲しいから…」と答えると「その人をコマとしてしか見てなくないか?」と怒られた。‬

たしかに…自分がその立場だったら、単なる駒としてしか見られないのは苦痛だ…。