チラウラヤーン3号

その辺のプログラマーのチラ裏です。

また仕事が忙しくなってきて最近夜帰るのが遅い。

負荷対応的な。

スクラムで言われる「夜も眠れない問題はなんだろう」というやつ。

施策も保守もどちらも同じくらい大事にしたい。

数日前まで自分が無価値で役立たずの恐怖感で海馬と扁桃体を取ってしまいたいと思っていたのに、今はやることありすぎてしんどい。

体の状態と、現状の認識次第で、それまで不安に思っていたこと自体は変わってなくても精神衛生の感覚は変わることを感じる。

逆もまた同じ。いつだって、不安と恐怖にまみれた引きつった顔に戻りうる。扁桃体と海馬は鍛えることが出来るらしい。脳も含め、体はいつでも変容する。可塑性がある。可塑性を維持するには、脳も体も硬くならないための継続的なストレッチが肝要なのだろうと思った。

とは言え疲れてきた。忙しいからこそストレッチとチェストボイスの練習をして心身のバランスを保ちたい所存です。


ふとYouTubeを見ると井上ジョーが日本語の動画をいっぱい投稿してた。彼の聡明で淀みのない話し方にはとても憧れる。ユーモラスもあり、語彙が適切なのも羨ましい。多言語話者はこうなのだろうか。あれほど日本語が達者とは思ってなかった。話し言葉の文章力が高い。きっと、それだけ努力しているか、楽しみながら努力しているのだろうと思う。

I want to practice my English pronunciation. I won’t work hard to death. I tried to input these English text with Siri to improve my pronunciation.

10年前、金沢でレントゲン機器のメンテナンスをして派遣社員として働いてた。雪が降る中、作業着で現像液のタブレットを運びながら、将来に希望を持てず、この先何も変わらないんじゃないかと思っていたのが、今は東京でプログラマーとして働けていることを不思議に思う。明るい未来も悪い未来も完全に想像した未来にはならないことが分かった。だから、未来に不必要に絶望することはないし、不必要に期待することもしなくて良いのかも知れない。手を叩いた瞬間、世界の状態が決まる。マクスウェルの悪魔の存在が疑問に思えてきた。複雑系では、それまで決定論的に見える運動も、ある閾値を境に、初期値のズレが大きく出てきて発散しては、やがてまた収束したりする。アジカンはこういうことを振動覚というテーマで歌ったんだろうか。関係なかった。振動覚とは皮膚の感覚のひとつだそうだ。寝よう。


夢も中では妻と子供に会うために帰らなきゃと思っていたのが、目がさめると、妻と子供がいたという記憶自体がなくなっていた。現実には私は未婚だし子どももいない。疑似記憶の悲しさはこういうことなのだろうか。

もう一度寝よう。


起きた。寝不足感。眠い。