チラウラヤーン3号

その辺のプログラマーのチラ裏です。

親とのコミュニケーションで反省したこと

職場では、自分の知ってることや、考えられることや学習性能、学習態度が、相手にも同じレベルで備わっているという前提に立たずにコミュニケーションしてたけど、家族、特に母親に対してそれをやってないことに気付いた。

  • 「この前も同じこと聞かれて同じこと言ったでしょ?」
  • 「教えて欲しいって言ったのは自分なんだから、ちゃんとこっちの操作したときも見ててよ!」
  • 「なんで調べないの?なんで色々触ってみてから聞かないの?」
  • 「分からないときは、分からないって言ってよ!」
  • 「最近、これやってなくない?なんで?」

良くない。良くないよね…。自分だって、疎い分野のことを、あたかも「それぐらいのことは考えれば分かるよね、知ってるよね」という前提で五月雨で伝えられると、ついていけないし、萎縮してしまうし、悲しくなる…。

自分を育てたのは親なんだから、自分の学習可能なことは親にも、そのまま学習可能だと思ってしまっている。例えば、学校の先生や、大学の教授であれば、少なくとも生徒に教えられるだけの素養が備わっている前提で捉えているけど、親は別に教授法を学んだ先生ではないし、色々教えてくれた存在ではあるけど、幼児期以降に手厚く学習指導したりしてるわけじゃない。だって、親は親で、先生はそういう職能だし。

  • 「これってこうなんだよね。前にこんなことやったけど、それと似たような感じ」
  • 「後でこれやってもらうから、ちょっと見ててね」
  • 「こういうことで困った時、こういう調べ方すると情報出てくるんだよね。分からないときもあるけどw。あと、俺も全部知ってるわけじゃないから、俺の場合、いろいろこんな風に触ってみて試すんだよね」
  • 「わからないときは、わからないって言っていいからね。そしたら補足するし」
  • 「前こんなことやってたじゃん。もし最近やってなかったら、今日だけでも一緒にやらない?」

次からはこんな風に言ってみようと思った。あと、ありがとう、や、依頼されたことの事後報告とかもやるように心がけようと思った。

自分以外の人間は自分じゃねえんだよ!って沙村広明も言ってたし。

きたかぜとたいよう (イソップえほん5)

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