日本戦後サブカルチャー史を見ていてバブル期の浮かれっぷりについての母の言葉を思い出していた。
「バブリー、とか言っても私のいた田舎ではボディコンもディスコもないし、クラブでシャンパン開けまくってタクシー代に20万渡す社長も全くいなかった。」
渋谷系もテクノもおたくも東京だけで経済と熱狂が十分回っちゃってたかと思うと、なんかもう、踊ってる人中心に1万人いないとダメなのか、最初に踊る人が偉いんじゃなくて、2人目、3人目ぐらいに一緒に踊った人たちが偉いのか、みたいな気分になって、どうにかしたい。
そういえば、風間俊介が「エヴァンゲリオンと攻殻機動隊という誰が見てもかっこいいおたくの文物が出たことでオタクへの肯定感が生まれた」みたいなことを言ってたけど、そこにAKIRAが入ってなくて、お前みたいなのがいるからクールジャパンなんてことになるんだ、って思った。(しかし風間くんに罪はない)
あと、おたくのファッション化は、GACKTがガノタであることを番組で発言したり、アメトークでそれ系芸人くくりで特集したり、その影響が強いんじゃないのか?それ以前には、綾波とアスカどっちに萌えるかとか、草薙少佐のコミカルな振る舞いが映画では変更されてることなんかはテレビや芸能人には語られてなかったように思う→大衆にもリーチしてない。
まあいいや。
田舎と都会と海外の都会で、それぞれに身を晒して得られる感覚はやっぱり差があって、エネルギーは低きに流れるワケで…逆流の兆候は起こりつつあるものの、空回り感が拭えてない印象があって、文化学者は何をしてるんだ。(丸投げ)