チラウラヤーン3号

その辺のプログラマーのチラ裏です。

テストコードに込めた期待する結果が自分の不理解をそのまま反映しててもテストコードはパスしてしまう。

テストの丸つけをする先生が正解を分かってなくて、間違った答案例と見比べてマルをつける感じ。

答案例が正しいことを保証するには…証明器とかそういうのが使えるんですかね?Coq?



実家の近くに慶楽寺というお寺がある。縁あってなにかと仲良くさせてもらっていた。そこの、今はもう亡くなられた先代の奥様 (ごえんじょさん) の言葉を思い出したのでここに記す。

「怒りに流されそうになったとき、この言葉を思い出しなさい。」

『腹が立ったら相手を変えよ。 弥陀を相手にするが良い。 知っておるぞよ、見ておるぞよ』

別に熱心な信徒ではないし、帰依の心もないけど、そういうとこに、地元に生まれ育って良かったとじんわり感じるのであった。


最近のこと

  • 加齢臭がして来ている気がするので香水をつけ始めた。
  • 後輩の一人称が「僕」から「私」になりつつある。自分の影響だとしたら、ちょっと良し悪し判断つかないけど、社会性の向上にトライしてみるという点では良いことだとは思う。

ネット始めた頃は顔も見たことない、リアルで会ったことのない人たちとネットだけで仲良く、日々の会話を楽しんでたけど、今、TwitterとかSNS使ってはいるけど、そういうことがうまく出来ない。というか、気後れしてやってない。なんか、面白い人とか、すごい人が可視化されてリーチ出来る場所なので、そこであえてふつうの人である自分に関わるメリットがないのだ、と思ってしまう。

自分の中でのネットの感触の変化。


ある人に嫌な仕打ちを受けると、その人の全てを悪だと思ってしまう。行動原理や倫理観に、自分が関わった行動以外のことも支えられてるという思いから。

でも、一人の人間とて一枚岩ではないのかも知れない。探せばその人の良いところが…あるといいなあ。

少なくとも、あるベクトルにおいては、自分が欲しい方向と一致してない、という問題があるだけならば。

こういうのが「性格はいいと思うけど管理職には不向き」「恋愛相手と結婚相手は別」とかそういうことなのかな。

最近またココナッツをカットしたり搾油したりする動画がYouTubeのフィードに流れてきて最高。

全国のココナッツカット動画ファン歓喜

ホント、日本でもココナッツ・スプラウトが食べれるようになってほしい。一度は食べてみたい…多分、想像してるほど美味しくはないんだろうけど…。

スクラム、どこで何がどうなってたらDoneなのかを定義してタスク作って進めたいけど、難しい。それがユーザーストーリーなんだろうけど。むしろ、それはプロジェクト管理の基本なのかな。


エスペラントがその理想を果たせてないのって興味深い。いろんな言語の覚えにくい点を克服することを目指して作られた言語のはずなのに。原因のひとつには、固有概念の欠如があるのではないか。中国や日本にはあるけど、アメリカにはない感情や概念、とか、そういうの。または、概念はつくれても、広く人々の間に、似たような神経興奮を起こせるような感情色と共起するようなもの、つまり「この言葉の感情背景は?」と聞かれた時に「それはこういう、たとえば、こういうときに、こんな状況でこんなときに沸き起こる感情ですよ」「たとえば、〜〜みたいな?」「それだとむしろ、〜〜という言葉の方がより言い表してる。そうではなく、〜〜みたいな状況のときに…」という具合に感情の言い表した語彙に近づけていける人がいないんじゃないかと思うんです。自然言語に客観的な視点を与えうるという点でも興味深い。

システムだけでは動かないんだ。感情が必要なんだ。長く続くことの利点の一つは、洗練されることだな。


フォークソングが流行らなくなったのって、昔ながらのフォークって人間の嫌な面が自分にもあって悲しい、みたいなのが多くて、人はだんだんとそれよりも、軽度のダメさとか、人に優しく出来なかった、とか、ダメージが少ない方に流れた結果、こ少なくとも僕は豆腐メンタル。全てではないけど、自分が聞いてきた音楽の影響もある気がする。自分にとって辛くないものだけを聞いてきた。


古事記とか日本書紀とかって全文漢字ですよね…。英語学習者でも一般的な言い回しや文法における不完全さがあるわけで、当時の執筆陣はそういう漢文における間違いはなかったのだろうか…?きっとあるよね…?

中国語ネイティブに来てもらって書くのをお願いするのなら別だけど。

そして、当時も日本は日本語を話してたとすると、読みと書きでは言葉がちがう。朝廷の書記官達はバイリンガルだったのか?それとも中国語もペラペラだったんだろうか。

加えて、あれだけ長文を書き編纂出来るとしたら、相当量の漢籍を読んできたのだろう。そうでなければ無理だと思う。かつ、彼らは誰からどうやってどのくらい漢籍を学んだのか。何かしらの教育システムがあるのだろうか。

卑弥呼の時代既に中国に人を遣わしてたのだから、その時既にある程度は素地が出来てたのかな。ヨーロッパの上流階級よろしく、上の方では中国語で会話して酒を酌み交わしてたりしたんだろうか。

もう当時の人はいないし、遠いご先祖様はどんな人だったか、何を収めた人だったのかはフィーリングとして残っていない。

でも彼らの相当な努力のおかげで日本はここまで来れたのだろうから、船で行ける距離に大国があって良かったんだろう。


  • 知らないことを知る喜び
  • 難しいと思ったものが焦らず付き合ってみれば、または賢い人に教えてもらうと自分にも理解できた時の喜び

学校では喜びがあまり重んじられない。時間が足りないから。先生の中には楽しむことを大事にしてくれる先生もいる。

自分が何かを人に教える時、何が楽しいのか、何が嬉しいのかを伝えようとしていただろうか。


オニオンアーキテクチャ、クリーンアーキテクチャ、ヘキサゴナルアーキテクチャの違いが分かってない。

しかし、正味8日間ほどかけて100ファイルほどリファクタリングした結果、それらはオブジェクトや関数のありかたにおいて責務の混在を避けるためのテクニック・スキル・パターンだということがようやく分かった。でもそれだけのファイルを手入れ出来たのは手厚いテストコードがあったおかげ。マエゾノさんに感謝。

つまり、プロトタイピング→パブリックメソッドのテストコードを書く→リファクタリングが品質向上によさそう。

10年前にオブジェクト指向が「データにメソッドがくっついたもの」と にしごおり師匠に教わったことと、Gunosy在籍時に mosa_siru 師匠から「コードはシンプルに、ネストを浅く、副作用を避け、命名にこだわること」「継承を (不要に→委譲や合成でやるべきことはそうすること) 使わないこと」を教わったことを経て、やっとここまで来たなあ、という感慨。

コイケ師匠とノブ師匠の「コードの一行一行は全てに意味があるべき。説明不可能なコードを書かないこと」と教わったことも下地になっている。

また、オグラ師匠によるDDD勉強会や、アイタ師匠の「アプリケーションでオレオレフレームワークわ避けるべき」やネギシ師匠のバリューオブジェクト利用例も活きてる。

あとはコイケ・アイボウ師匠の「カバリングインデックスの利用」「アーキテクチャ構造で済ませられるものはそこに任せる。出来るだけコードを書かずに仕組みで解決出来ないか考える」ことを覚えたい。

テストにはシマダ師匠のモックの使い方やインターフェースクラスの使い方も活きてる。

たくさんの師匠がいる私は果報者である。しみじみ。


社内イベントを手伝う人と手伝わない人に分かれる、って言われたけど、手伝いを業務扱いにしないからかな、と思った。

最初から強制徴兵して業務扱いの方がよさそう。

骨だと思ってたら筋だった。問題は。多分。多分、そうだと思う。ぜんぶ憶測だけど。

ただ、大腿骨骨頭と骨盤のハマるとこの隙間、これはなんかどうしようもない気がして滅入る。

何が言いたいかというと、約1ヶ月、左右のバランスを気にしながら生活した結果、体を横に曲げる運動

で、左に体を倒した時に、右足の付け根がピキッとならなくなったことにいたく感動した。

まだまだ体は変わる余地がある。

デスコ

デスコ

  • 女王蜂
  • ロック
  • ¥250


ロックってカッコ悪いことのことなんじゃないか?というのを、マーヤラブについて熱く語るおっくんを見て思った。

色んなこと知ろうとしすぎんで良くて、一個のことしか知らない、出来ないことのカッコ悪さとそのかっこよさ、みたいなのが必要なのかもしれない。


ドキュメンタリーで食事シーンを撮ったりするじゃないですか。あれ、自分の場合だとたぶん恥ずかしい。

食べ方に自信がない。作法とか口元とか笑い方とか。いや、だからこそか!自分で撮影してみたらいいんだな。カメラスタンドを買わねば。


鶴見済が著書で、眠くしてウトウトしつづけてでも眠りには入らない、というのをやってたんだけど、今思えばアレ、ブッダの半眼だ。ポイントはずばり眠いこと。じゃないと、突飛なビジョンが出てこない。今日、風呂場で体験したけど、眠い中で半眼で入眠を抑制してると、未来、自分がどうなっていたいか、その時のイメージが出来てとてもやる気出た。ブッダは脳内麻薬ジャンキー。しかし菩薩が出れば槍で突き殺せというのもまた真で、ヤグ兄が言ってた「酩酊の中でも自分を冷静に見てるもう一人の自分がいるだろ。そいつを使って常に意識をしっかりと保て」と。

横になりたい時、だらけそうな時、同じことが言えるんだと思う。日常それ自体が修行(苦行ではない)で、無意識の堕落や、いつのまにか自動行動、自動判断まで落ちてしまった「諦めてきたもの、避けてきたもの」に今一度タッチする賦活を与えてくれる。

風呂は偉大である。


ドラゴンボールを読んでた当時、新章が始まる度にワクワクしたし驚愕した。かめはめ波など、エネルギー波を手から出すというアイディア、見たことないデザインのキャラクターは登場時から既に全てカッコよく、もうないだろ、もうないだろ、と思ってもそのラインを超えてきた。28号なんかもそう。可愛くてオシャレで強い。「叶うことなら会ってみたい」と思わせるようなキャラクターばかりだった。

鳥山明は絵が上手いだけではない。発想、デザインセンス、キャラクター付け、オールラウンドでどの能力も高いチート級、規格外の漫画家だったのだな。

自分にとってキーとなりそうな要素メモ

  • 事業規模に合わせたアーキテクチャ設計が出来る
  • 要件定義、運用設計、外部・内部設計、インフラ設計、DB設計、実装、テストコード実装、結合テスト設計、外部とのすり合わせ、保守・運用、障害対応の経験
  • なんらかのリーダー・マネジメント経験
  • データ分析技術
  • 機械学習技術
  • 英語
  • 何か一つ得意分野、その実績

あと、健康であるための努力と真摯な姿勢…、目的のために耐え忍ぶ力…。

獣ゆく細道

獣ゆく細道


‪座っても腰をすぐ曲げずにいられなかったけど、尻の左右と、左右の足の裏に均等に体重が掛かるように意識してはや1ヶ月、なんとか腰を曲げないでも座れるようになってきた‬。

人間は必ず左右差があるものだけど、偏りすぎないようにするのは悪くないのではないかなあ…と思ったりしている。というか、偏りすぎるのは良くないのでは、と。


キャバクラはお金を払って自分の話を聞いてもらうところなんだなあ、とふと思った。数年前に友達に5, 6回連れて行って貰ったきりだけど。

今までは、こんな金で買うような一時的な関係、マジで無意味だしw と思ってたんだけど。

教会や寺でもホストさんに話を聞いてもらえるかも知れないけど、独り占めは出来ないし、雑談は多分、出来ない?と思うし、友達にダラダラと自己完結的な話をするのも悪い気がして気がひける。

あれだ。行き詰まった時はテディベアに話しかけると整理できる、っていうアレ。それの高級版。

もしかしたら、研究者・学者さんたちはキャバクラで思考を整理すると良いのでは…?と思ったけど、DNAを発見したワトソンとクリックは普通にPUBで話ししてて気づきを得たらしいので、信頼できる同業者との雑談が一番なんでしょうね。そりゃそうか。


人を誘う。 一文書く。 音楽を聞いた話をする。 誘ってもダメな場合、エクスポネンシャルバックオフ 人に話しかける。 十人誘う。 習慣: 週一ぐらい



電車の中でいきなりジャズの生演奏が行われる動画を初めて見たときは、海外は芸術に理解があって素晴らしい、日本もかくあれ、と思ったのに、実際に目の当たりにすると、強制感があって辛かった。音がデカイのは仕方ないとしても演奏があまり上手くなかったのでイラッとした。それ以来、見る目が変わってしまった。 #busking


アメリカの歴史の授業って「我々の祖先はイギリスから船で海を渡り…」みたいなとこから始まるんだろうか?いや、ネイティブ・アメリカンがいるからそんなことないか。

しかし、日本の場合、祖先が中国大陸経由や千島列島経由で日本列島に入ってきたことなんかに触れてたっけ。触れてるかもね。

‪上司からは部下の苦労が感じ取りにくかったり、そういうのは正社員とアルバイトの間にもあるから、国と国民‬の関係性もきっと…。

だから神も人間の苦労なんか知らんと思う。 望めば何不自由ない満たされた生活が出来るから。

つか、全知全能なら意のままに操れば良い。純潔のマリアでも言ってたな。「それが神の望みであれば詩を一編綴るだけで良いではないか」と。

我々がコンピューターの苦労なんか知らんのと同じだな。

物を大事に、人を大事に、というのを「神は偏在する」と言い換えたのであれば、発案者の徳は非常に高いと思う。

神が意のままにしないのは、神の業。業があるのであれば、神は人間くさい。実際、宗教によっては人だったりするし。

でも、神と人間は同じではないなら、人間の中に神がいるか、神というのは廻る電子だったり、届く重力波だったり、自然そのもの。

てことは、コンピューターにも神は宿るから、プログラムを書いたときに動きますように!と祈るのは神信心と同じことであり、徳の高まる行為である。

よかったー (雑)。

いや、よくない。「より良い組織にしたいのはやまやまだけど、一度上の立場に立つと、下の気持ちを汲み取るための心を失いがちよね」という課題はどこも抱えるはずのもので、どうしたらいいんだろう。

まあ、同じ立場にしてもらって、その苦労を見に染みて味わうのが一番だと思う。

よし、もし自分が社長になれた暁には、半年に一回、ひと月ほど、アルバイトとして入り直そう。

なーんて…。なかなか難しいんだろうなあ…。