チラウラヤーン3号

その辺のプログラマーのチラ裏です。

父の逝去

願い叶わず、逝ってしまった。

病室でジャズを流すと、医療用麻薬で朦朧としながらも

「こういうホテルのラウンジでかかるような音楽、俺は大好きや」

と、機嫌良く話していたのを思い出す。 亡くなる4日前だった。

食事が取れず、抗がん剤治療まで漕ぎ着けなかった(抗がん剤治療には自力で食事が取れる程度の体力と栄養が必要)。

死に目には会えなかった。 仕事を切り上げて、もっとはやくに向かうべきだったのだが、悔やんでも仕方ないので、せめて立派に送ってあげたいと思う。

会津若松のバーと音楽

バンドの練習後、いつものバーに軽音部の先輩と行き、カウンターに座る。マスターの後ろには壁を覆わんばかりの大量のレコード。先輩はなにやら難しい名前のウィスキーを頼み、僕はコーラを頼む。

「ブーさん、テイクファイブ、あります?」

「あるよ。あるけど、テイクテンの方はどう?」

「テイクテン?知らないです。5拍子の倍で10拍子になってるとか?」

「まぁ、テーマは同じなんだけど、別のバージョンだね。これはこれで面白いよ。かけてみようか。」

テイクファイブよりもゆったりとした変拍子に、ポールデズモンドのアルトサックスがふわっと乗っかっている。ネタ元を知ってると楽しめる曲だと思った。マスターの薦める曲は外れがない。

僕はジャズをほとんど知らない。テイクファイブを知るまでは、枯葉とイパネマの娘ぐらいしか知らなかった。

「ミツキ先輩、マイルスは『帝王』って呼ばれてますよね。他にも有名なプレーヤーにはニックネームがありますよね。ええと、『バード』って呼ばれてる人いましたよね。確か、ジョンコルトレーンでしたっけ…」

「バードは確か…」

『チャーリーパーカー』

先輩に被せるように答えながらバーに入ってきたのは軽音部がいつも使わせてもらっているライブハウスのオーナーだった。彼はカウンターに座り「ブーさん、いつもの」と慣れた調子で酒を頼むのだった。

「ああ、チャーリーパーカーか。さすがカネダさん。ライブハウスに『バードランド』と名付けるだけはありますね。なるほど」
(本当はWeather Reportの曲名からかも知れない)

そんな会話を重ねて、ジャズバーの楽しさを教えてもらった。その空間にはジャズへの愛が溢れていた。

店の名前は「ラグタイム

今はもう無い。ブーさんももういない。

ブーさん、コンビーフピラフごちそうさまでした。とても美味しかったです。

禁煙のチャンス

30超えての禁煙は若い頃に比べて離脱症状が仕事に支障が出るレベルでやってきうるので、

がチャンス。それ以外で止めようとすると、むしろしんどいので、減らすぐらいが良さそう。


その後

業務中、強い眠気があり、作業がいつもの3倍くらい遅くなってしまった。

タバコを少し再開すると、眠気が改善していった。ニコチンには覚醒作用があるらしい。

依存性の強いものは、やはり段階的に止めていかなければ弊害があるようだ。

段階的にやめるか、禁煙外来行くか、迷う。

父の肺がん

この土日で金沢へ行ってきた。家族の見舞いで。

父が肺がんになった。多形がんという珍しいがんらしい。少ない情報を見る限り、治療は難しいようだが今の所父は割と元気でいる。しかし、時折骨の痛みを訴えたり、食事の量が普通の1/3程度だったり、すぐ疲れてばててしまったりと、それなりの様相はある。

今回、見舞いに来たのは母と妹と私。弟は仕事で来週来るらしい。

家族が来て嬉しいのか、手術後4日目だというのに外出許可を取り、オキノームを携えて、家族を片町に案内した。

えん家、という店に連れられて、最初は家族も「ああ、やはり呑み屋かぁ…」と落胆していたものの、刺身、天ぷら、肉、寿司、どれも大変味がよく丁寧に料理されており、おもわず顔がほころんだ。

父はここ2日ほど刺身を食べたいと言っていたようで、刺身盛り合わせも注文したのだが、2切れほどで充分らしく、それ以上箸をつけなかった。

奔放で勝手に振る舞う側面に家族は残念な思いもして来た訳だけど、それでもやはり家族なこともあって、体力の明らかな変化にはどうしても心配してしまう。

どうなるにせよ、あまり苦しまずに生きてもらえれば、と思う。

まずは、数週間、病理検査の結果を待つ。 その間も、呼吸系のリハビリに励んでほしい。

またあの家のテーブルで、もう一度だけでもいいから家族全員でご飯が食べたい。遺影になってしまったけど、犬のわん太郎も一緒に。

過去の失態を思い出し、ああっ、消えてしまいたい!はやく誰か最初から無かったことにしてくれ!と思うことが毎日のように繰り返され、その度に「いやいや、胸を張って生きよう。王立宇宙軍でも『生きている限り誰かに必要とされている。不要なものは消えてしまっているのだから』と言っていたじゃないか」と思い直すのですが、それで持ち直すかどうかはその日の気分次第なわけで、ではどう気分を維持するかというと、それはやはり夏が来ることも相まって筋トレに、特に腹筋の鍛錬に帰結していくわけですが、それはそれとして、モテる努力をしないでモテたいです。

休日に何気なく点けたテレビに映っていた

本谷有希子のドキュメンタリー。 同郷であることに加え表現者であることに興味を持った。

ロサンゼルスの大きな交差点で歩きながらインタビューに答えていた最中、雨が降ってきたのに、雨宿りできるところを探すでもなく、雨が降ってきたことを楽しんで、雨の方向に顔を向けて笑ってる姿が、水古風に出てきた鳥取の娘と重なった。

抱いた感想は、鳥取娘の父親と、水古風と同じだった。